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あれから10年 [国際諜報機関のプロファイル]

アメリカが総力を挙げて捜索していたにもかかわらず、10年も逃げていたことに驚嘆する。アメリカ情報機関内に、内通者がいたのだろう。
しかしながら、9・11の首謀者は、やはりビンラディン氏で間違いないのだろうか。

米諜報機関が殺害 ビンラーディン遺体を確保 パキスタン首都で家族と一緒
産経新聞 5月2日(月)12時39分配信
【ワシントン=犬塚陽介】
 米CNNは1日、2001年9月11日の米中枢同時テロを首謀者した国際テロ組織アルカーイダの最高指導者、ウサマ・ビンラーディン容疑者が死亡したと報じた。米政府が遺体を確保したという。ビンラーディン容疑者はパキスタンの首都イスラマバード郊外で家族と一緒にいたところを米諜報機関に殺害された。
 報道を受け、オバマ大統領が会見する。
 同時テロをはじめとした反米テロ活動の“象徴”となっていたビンラーディン氏の死亡で、米国の「反テロ戦」はこれまでで最大の成果を達成した。ただ、アルカーイダの残存組織はいまだ世界各地に残っており、最高指導者が死亡したことで、テロ活動などの動きが一気に高まる恐れも出ている。
 米国は同時テロ直後、ビンラーディン氏を最重要容疑者として、同氏をかくまっていた当時のアフガニスタンのタリバン政権に身柄引き渡しを求めたが、タリバン側はこれを拒否。2001年10月からアフガニスタンでの空爆に踏みきった。タリバン政権は同年12月に崩壊したが、ビンラーディン氏は東部のアルカーイダ拠点、トラボラに潜伏していたことが確認されたのを最後に具体的な消息が分からなくなっていた。
 しかし、2002年10月、インドネシア・バリ島のディスコで発生した爆弾テロについて、翌11月にカタールの衛星テレビ局アルジャジーラが、テロを称賛するビンラーディン氏の録音テープを放送。米国当局もテープが同氏の肉声であることを確認していた。

アフガン戦争以降は雲隠れ…捜索続けていた米軍
読売新聞 5月2日(月)13時8分配信
 「アル・カーイダ」の指導者のウサマ・ビンラーディンは、2001年9月11日の米同時テロの首謀者とされ、その後、アフガニスタン周辺に潜伏していた。
 米同時テロ後のアフガン戦争や、その後の対テロ戦争を通じても行方が分からず、米軍がアフガン・パキスタン国境地帯の山岳部を中心に捜索作戦を続けていた。
 ビンラーディンは1957年3月にサウジアラビアのジッダで生まれたとされる。1979年の旧ソ連アフガニスタン侵攻を受け、ムジャヒディン(イスラム戦士)としてアフガン入り。対ソ勝利の過程で、ジハード(聖戦)の対象をアフガンから世界に拡大すべきだとする思想に傾倒し、建設富豪の父から譲り受けた財産を武器に88年、同国でアル・カーイダを組織した。
 89年に旧ソ連が撤退すると、サウジアラビアに帰国。96年からアフガンに拠点を移動し、タリバン政権の庇護を受けた。対米ジハードを公式に宣言したこの頃から、テロ実施の命令を頻発させた。
 ビンラーディンは、2001年の米同時テロ後のアフガン戦争や、その後の対テロ戦争を通じても行方が分からず、米軍がアフガン・パキスタン国境地帯の山岳部を中心に捜索作戦を続けていた。ビンラーディンの行方は、01年のアフガン戦争開始以降、確認されていなかった。
 ビンラーディンの死亡で、アル・カーイダの組織分裂が予想される一方、世界各国でイスラム過激派の報復テロが頻発する可能性もある。米国は各国首脳に警戒を呼びかけた。(ワシントン、黒瀬悦成)
タグ:国際政治
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