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引退後ですが [プロ野球ニュース]

立浪のエピソードを一つ。
立浪の引退は、やはり一つの時代の終わりのような気がするね。

「SCORE CARD」
立浪和義の22年を支えた、ふたつの「資質」とは?
永谷脩=文
2009年10月16日 Number Web

 現役生活22年目、立浪和義らしいバッティングだった。9月30日の巨人戦で、越智大祐の投じた内角ストレートをきれいにはじき返すと、打球は右中間に転がった。自身の持つ最多二塁打記録を487本に伸ばす一打は「ミスター二塁打」の名に相応しいヒットだった。

PL育ちの選手らしく、常にチームの勝利を求める選手だった。
 ここ数年は代打での出場が多かった立浪だが、ナゴヤドームにその名が告げられると、誰よりも声援が多かったものだ。「PL育ちの選手は、どんなに活躍してもチームが勝たなければ意味がないことを、徹底的に教え込まれている」との言葉通り、常に勝利を追い求めファンから愛される存在だった。ナゴヤドームでの引退セレモニーには、高校の2年先輩にあたる清原和博、桑田真澄の他にも同期の片岡篤史、橋本清、監督だった中村順司らPL黄金時代のメンバーが顔を揃え、立浪の打席に拍手を送っていた。
 入団当初、薬局を営んでいた母親の好子さんは「プロ野球で通用しますか」と心配していたが、素質を見抜いていた当時の監督・星野仙一は「責任を持って一人前に育てます」と言い、少々のミスにも目をつぶり我慢をして起用し続けた。その結果、見事期待に応え新人王を獲得したのである。身長は173cmとプロ野球選手にしては小柄な体格だったが、その野球センスは図抜けていた。
 ホームラン王1回、ベストナインを3回獲得した宇野勝が「グラブさばき、あの野球センスには敵わないと思った」と舌を巻くほどだった。

三冠王の落合から手首を柔らかく使う技術を学んだ。
 もちろん野球に取り組む姿勢も、入団当初から際立っていた。
 三冠王を三度獲得した現監督の落合博満が打撃練習を始めると、必ずバッティングケージの後ろでその姿を見つめる立浪の姿があった。「あの手首を柔らかく使う落合さんの技術を盗みたい」と言っていたが、野球へのあくなき向上心が小さな体を支えていたのである。
 高校時代から付き合いのある整体師は「今の状態では腰痛で立っているのもしんどいはず。ホンマ我慢強いヤツや」とポツリと漏らしていたが、ファンの多くは立浪の活躍をまだまだ見たかっただろう。
 地元ファンのためにも勝負強い「代打・立浪」を見せることが出来るか。有終の美を目指し、立浪和義の最後のクライマックスシリーズが始まる。
タグ:プロ野球
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