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日の丸をつける意味 [サッカーダイジェスト]

先日、ある集まりで、サッカーファンの方と話す機会があった。
「占畑さん。私も職場では中々サッカーのコアな話ができないんですよね」と言っていた。
確かに小生も、コアなサッカー話ができる相手は限られている。

その会話の中で、小生が、そのサッカーファン氏に語ったのは、「現在は、サッカー雑誌は定期的に購読はしているが試合を見ることは稀になった。以前から、どちらかというと、サッカーそのものよりも、サッカーを含めた文化論、サッカーの戦術論の方に興味がある」ということだった。

さて、昨日、スカパーのサッカー番組を見ていたら、金田喜稔氏が、非常に良いことを言っていた。小生が、サッカー番組で期待するのは、以下の様な、深い話である。

小生は、金田氏の解説はあまり聞いたことがなかった。
しかしながら、金田氏の日本代表論は、まさに正鵠を得ていた。
ここで、一部、改変しながら、金田氏が、番組中で発言した要旨を紹介したいと思う。

「ちょっと泥臭いことを言うと、僕は日本代表に選んで貰って、プレーした経験もあるが、これだけの日本の歴史、日本サッカーの歴史において、多くの先輩方が、沢山汗を流し、努力をされたお陰で、日本サッカー界は続いてきている。
例えば、メキシコ五輪の釜本邦茂さんや杉山隆一さん、八重樫茂生さん、亡くなられた長沼健監督(当時)、等々。色々な方々が努力をされたその延長線上で、僕もプレーできたし、今現在ヨーロッパでプレーしている選手達も、この延長線上でプレーしている訳です。
もっと言えば、例えば、この国を守る為に、戦争で命を亡くされた方々も沢山いる。サッカーをしていた先輩達の中にも、1943年、学徒出陣で、国立競技場で、パレードをしながら、この国を守る為に、又は家族や友人を守る為に戦地に赴かれたも沢山いた。
個人で競争で勝ち取った日の丸、日本代表というのも確かにある。しかしながら、僕にとって、日の丸をつける意味とは、そういう魂だとか、英霊達の熱い思いだとか、そういう先祖や先人達の気持ちに思いを馳せるのが日の丸をつける意味だと思っている。
先祖の熱い思いや魂が引き継がれて、日の丸をつけなければならない。だからこそ、日の丸をつけるということは、義務というよりも、そういう先人達の、いわば墓場の下から応援している先祖や先輩方の思いも含めて日の丸をつけるということなのだ。
それは義務ではなく、喜びや名誉や誇りなのだ。だからこそ、選手達は自分達の出来る範囲のプレーをピッチに立って表現できることが権利なのだ」。


文章にしてみても、金田氏の熱い思いが伝わってくる。
小生は、日本代表を応援している。しかしながら、過去に、「こいつは日本代表たりえない」と個人的に思っていた選手が少なからずいたのも事実だ。
以前も書いたが、小生は、日本代表の試合前の国歌斉唱で、国歌を歌わない選手は無条件に日本代表失格の烙印を押している。小生は、サッカーのプレーの質は問わない。というよりサッカーのプレーの質は分からない。小生は全くサッカー経験がない。だから、ある選手のプレーが良いとか悪いとかは、殆ど分からないのが実情である。
しかしながら、試合前の国歌斉唱での口の動きは、はっきりと確認できる(笑)。サッカーを知らなくても確認できる(笑)。
金田氏が言った所の、先祖や先人達の気持ちに思いを馳せながら日の丸をつけている選手ならば、国歌斉唱時に何をすれば良いかは自ずと分かってくる筈だ。

又、過去に日本代表に選出された喜びを素直に表現せずに、曖昧な表現に終始していた選手がいた。そういう選手は、結局、先祖や先人達の気持ちに思いを馳せながらプレーはしていなかったのだろう。当時から、そういう選手には胡散臭さを感じていたが、金田氏の意見を改めて聞いてみると、そういう選手達の胡散臭さが際立ってくる。
タグ:サッカー
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