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戦没者遺骨収集のいま(4) [「シリーズ」日本人よ、何処へ行く]

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(4)NPO・倉田宇山さん(52)
産経新聞 2009.2.6 08:15
 ■「日本人のために」やる
 「厚生労働省は遺骨収集を遺族のためにやっている、というスタンスだが、私は違う。『日本人のために』やっているんです」。激しい言葉だった。
 家業は神職である。3年前の平成18年、僧侶、元国会議員らと、フィリピンを中心に、遺骨収集(調査)を行うNPO法人「空援隊(くうえんたい)」(本部・京都市)を立ち上げ、情熱と的確な戦略、そして、時には強引ともいえる手法によって、数々の「旋風」と「波紋」を巻き起こしてきた。
 遺族や戦友の情報に頼っていた日本政府派遣の遺骨収集事業は、関係者の高齢化や情報の減少などで、近年は、はかばかしい成果が挙がっていない。特にフィリピンでは、鑑定人の不明瞭(めいりょう)な判定によって、「旧日本兵の遺骨ではない」とはねられる(日本に持ち帰れない)ケースが相次いでいた。
 業を煮やした彼は、昨年末、フィリピン国内に築いた独自のネットワークと人脈を生かして、民間でも、遺骨を持ち帰れる方法に道筋(従来は政府の派遣団のみ)をつけてしまった。慌てたのは厚労省である。「今後も国が主体となって行う」(外事室)と言ってみたところで、相手国(フィリピン)が空援隊の方法を承認しているのだから、考慮せざるをえない。
 新方式で行った2度の派遣で収集した遺骨は約800柱に上る。これは前年度に「全世界で1年間」に収集した数に匹敵する。「今後、もし厚労省が行かないなら、われわれだけで遺骨収集をやる」と言い、役所側と軋轢(あつれき)が起きようが、お構いなし。活動にかかる費用は自前で賄っているから、気兼ねもない。なぜそこまで…。
 「見てしまったんですよ。おびただしい数の遺骨が残されているのをね。(英霊に)呼ばれたんです。だから、仕方ありません」と苦笑する。
 フィリピン・レイテ戦でほぼ全滅した第16師団(京都)の練兵場跡地は、子供のころの遊び場だった。「因縁を感じますね。遺骨収集のことを、『いまさらそんなこと…』と批判する人がいるけど、一度、現場を見てきたらいい。日本人として、放置できるのか?と」。
 ここまで、突っ走ってきたのは時間がないからだ。戦後60年あまりが過ぎ、現地での情報収集は、「今後5年が限度」とみている。
 「本来は、厚労省の1セクションだけで対処できる問題ではない。国を挙げたプロジェクトとして取り組むべきなんです。現にアメリカはそうやっている。その“手足”には、いくらでもわれわれがなりますよ」。(喜多由浩)
タグ:遺骨収集
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