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戦没者遺骨収集のいま(6) [「シリーズ」日本人よ、何処へ行く]

自民党支持者の小生だが、こういうマトモな民主党議員も紹介しないのは、不公平というものだろう。
民主党も、「鳩山、菅、岡田、小沢」というトップは、多分、頭のネジが、左巻きだろう。信用ならない。
それより、政界を引退して、こういう若手に道を譲った方が、よっぽど日本の為になると思うが。

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(6)衆院議員・泉健太さん(34) (1/2ページ)
2009.2.12 08:32
 ■国民運動として再構築を
 ニューギニア、硫黄島…、20代のころ、フィリピンで朽ちた慰霊碑を目にしたのが動機で、青年団体の遺骨収集事業に参加してきた。29歳のとき、大学時代を過ごした京都の選挙区から衆院選に初当選。父親は北海道の地方議員だが、地盤を譲り受けた2世議員ではない。
 昨年3月には、慌ただしい国会日程をにらみながら、NPO法人のフィリピンでの遺骨調査に参加。「永田町」から、この問題に取り組んでいるひとりだ。
 「初当選したとき(平成15年)、当然、遺骨収集問題に取り組む議員連盟があると思って探したけれど、見当たらなかった。なぜなら、かつては議連などなくても、みんな当たり前のように熱心に活動していたからですよ」。
 残念ながら、いまの「政界の空気」はそうではない。
 昭和27年度から始まった政府の遺骨収集事業はピークの50年度には、約3万6000柱の遺骨を持ち帰った。ところが、歳月の経過とともに収集数が激減し、昨年度まで3年連続で、遺骨収集数は3ケタにとどまった。
 一部の関係者の中には、遺骨収集事業にはそろそろ幕を引き、慰霊碑の建立や、遺族による慰霊巡拝事業に重心を移すべきではないか、という声もある。
 「私は、国家の責務として遺骨収集事業は当然、続けるべきだと考えています。それが、この国を造っていくために『必要なこと』だと思うからです。ただ、大量収集時代はすでに終わっている。関係者の高齢化が進み、情報も人手も少なくなりました。こうした『現場の実態』に合わせて、今一度、活動を再考、そして再興する必要があるのです」。
 かつては、ともに戦った戦友や遺族の情報が頼りだった。国会議員や厚生労働省も、彼らの願いをくんで動いていたことは、間違いない。特に、議員にとって、地元や支援者の意向は重いからだ。
 「(先輩議員の)みなさんは『私たちはもう十分やってきたんだ』とおっしゃるでしょう。それは紛れもない事実。関係者の献身的な努力によって続いてきたのです」。ただし、今後は、関係者だけの運動ではなく、「国民全体の運動として再構築すべきだ」というのである。
 「戦争の傷跡はまだまだ癒えていない。遺骨収集を国民全体の問題として受け止め、次世代に引き継ぐ時期が来ているのです。そのためには、戦後世代を含めて、一般国民が広く収集事業に参加できるような運動体を考えねばなりません」。(喜多由浩)
【プロフィール】泉健太
 いずみ・けんた 民主党衆院議員。昭和49(1974)年、札幌市生まれ。立命館大学卒。議員秘書をへて、平成15年の総選挙で京都3区から初当選(当選2回)
タグ:遺骨収集
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