SSブログ

戦没者遺骨収集のいま(7) [「シリーズ」日本人よ、何処へ行く]

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(7)JYMA理事長・赤木衛さん(44)
産経新聞 2009.2.12 08:34
 ■遺骨は僕と同世代の若者だった
 「僕と同じくらいの年齢の若者が、酷寒のシベリアで重労働をさせられ、病気や飢餓のために亡くなった。そのことを後世にしっかりと伝えなければ」。
 「私は衝撃を受けた…後頭部を銃で撃たれたり、解剖のために頭部を切断されたであろう、ご遺骨。故郷に帰れなかった悲しみはどれほどだったろう」。
 NPO法人「JYMA(旧日本青年遺骨収集団)」は、昭和42年の発足以来、のべ約1500人の大学生らを、遺骨収集事業の政府派遣団に送り出してきた。派遣回数は約250回、持ち帰った遺骨は約15万柱に及ぶ。冒頭の言葉は、遺骨収集に参加した若者たちの感想文である。
 彼らは、ごく普通の現代の若者たちだ。最初は、遺骨収集のことはもちろん、戦争についてさえ詳しく知らなかった学生も少なくない。偶然インターネットで活動を知ったり、学生同士の口コミで、事務所に連絡してくる。最近は女子学生も多い。自分自身もかつては、そんな学生のひとりだった。
 「昔はね、『海外へ行けるから』という動機もありました(苦笑)。ここ数年、参加者は、ほぼ横ばいですね。今年度は約60人のうち8、9割が大学生です」。
 政府の派遣団は、厚生労働省職員、遺族、戦友などで構成される。若い彼らに期待されるのは、もっぱら「肉体労働」だ。熱帯のジャングル、洞穴に入り、汗まみれになって遺骨を掘り出す。今や肉親の死にさえ、立ち会うことが少なくなった若者たちにとって、「命」を考え、先人の思いや苦労を知る貴重な機会だ。
 ただ、現在の制度では、政府の派遣団に参加する以外に、若者たちが遺骨収集を行う手段はない。フィリピンでは民間でも収集ができる方法に道筋がつけられたが、他の国では以前と同じだ。
 政府の派遣団は近年、思うような成果を挙げられないでいる。戦後60年あまりが過ぎ、派遣団の主力となっていた遺族、戦友たちは高齢化してゆく。また、「現地での公式行事が多過ぎて実際に作業をする時間が少ない」など、官僚組織ゆえの制約や無駄を指摘する声も少なくない。
 「情報は今もないわけじゃないんです。肝心なのは、今後、限られた予算をどう有効に使い、誰が先人の慰霊を担っていくのか? ということですよ」。
 アイデアはある。防衛省・自衛隊の参加やアメリカのCILのような専門チームの創設。そして、NPO法人のような民間団体に幅広く門戸を開くことだ。
 「いつかは政府が『遺骨収集事業をやめる』という時期がくるかもしれない。でも、そこに、ご遺骨が残されているという『現実』と、『やりたい』という若者たちがいる限り、われわれは民間として続けていくつもりです」。(喜多由浩)
タグ:遺骨収集
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。