SSブログ

村山談話と歴史教育 [政治や歴史の話]

大分、政治ネタを書いていなかった。
まあ、政治ネタを書くのは、やはり気軽には書けない。自分の今まで読んだ書物と自分の感性を頼りに、文を紡ぐのはそう容易ではない。

さて、昨日、村山談話について書いた。今日は、それに付随する話題を書いてみたい。
昨日の拙稿で、小生は、「村山談話とは、畢竟、何十年の前の日本の戦前の戦争行為を俎上にのせて、無意味な反省文を出し、結果的に、先祖を貶めたものである」と書いた。

ここで、小生が考えるのは、歴史的事実と、歴史的事実に対する評価、そして、それを歴史教育としてどう教えるかという事についてである。
まず、小生の意見はこうである。
歴史的事実は、ほぼ不変である。歴史的事実に対する評価は、評価する人の立場や価値観によって左右される。歴史的事実を歴史教育としてどう教えるかは、まず子供の理解度を考え、複雑な事象は、高校程度で扱い、自国に都合の良い情報を初学期には多くブレンドしながら、高校期あたりで、自国に都合の悪い情報もまぶしつつ、バランス感覚を身につけた日本人を育成し、尚且つ、やはり、日本人としての気高い誇りを醸成するものではならなければならないと考えている。

例として、架空の人物伝を考えてみたい。
この人物、仮に、名を日本三郎(ひのもとさぶろう)としてみる。この人物は、戦国末期、貧しい身から、立身出世し、戦国大名となり、72歳の長寿を全うし、死んだ。

さて、日本三郎が、戦国大名になる過程で、反対勢力である武将や宗教勢力を攻め滅ぼしたとする。これは、歴史的事実と言えるだろう。
「反対勢力である武将や宗教勢力を攻め滅ぼした」ことを戦国の世だから仕方がないと肯定したり、又、戦国時代とはいえ、やはり無益な戦いをしたことも度々あり、その点は評価できないと否定的に評価することもあるだろう。ここで大事なのは、歴史的評価は、評価する人間の考えによって変化するのが常だということである。
さて、「反対勢力である武将や宗教勢力を攻め滅ぼした」ことを歴史教育としてどう教えるかである。

結論は、子供への影響を第一に考える、これに尽きるのではないか。
私見では、小学生や中学生に、戦国期に、現代では考えられないような殺戮が行われたことを殊更に教えるのは、教育上宜しくないと考えてる。高校期あたりで、そういう事項も説明していっても遅くはないのではないか。

さて、話題を近現代史に移す。
戦前の日本軍が、アジアの戦地で、非人道的行為を行った。これは歴史的事実である。
非人道的行為を「やはり、戦争期だから仕方がない」と捉える者もいれば、「アジアの人々に多大な迷惑をかけた」と捉える者もあるだろう。つまり、「歴史的事実に対する評価は、評価する人の立場や価値観によって左右される」のである。
さて、これを歴史教育としてどう教えるかという事についてであるが、小生の意見は明確である。
「別に、取り立てて言うこともないよね」。

日本の都合の悪いことは、大学あたりで学んだら宜しいのでは。
日本を愛していないが日本国籍を有している残念な人々は、「歴史の真実に目を背けるのか」と息巻くが、他の国が果たして自国の都合の悪い歴史的事実に真正面から向き合っているのか、小生には疑問である。

極論すれば、共同体の都合の悪い歴史的事実は基本的に隠蔽しても構わない。いずれ、大人になれば、そういう事実、嫌でも知るから。小学校や中学校の教育の場で、殊更に、日本人の恥部を暴露する必要はないと考えている。
共同体の都合の悪い歴史的事実の隠蔽は、どの国でも普通にやっている。
例えば、韓国人が嫌がる話題として、「ベトナムのライダイハン問題」がある。
ライダイハンとは、韓国人兵士によって性交、強姦された現地ベトナム人女性が出産した子供のことである。このことを韓国が熱心に自国民に教えているという話は寡聞にして知らない。
自分達の悪行は棚に上げて、日本を叩くのだから、韓国人って偉いよね(苦笑)。

韓国は、しきりに日本に韓国の歴史観を強制してくる。これを歴史認識の共有というらしいのだが、ためしに、ベトナム人とライダイハン問題で歴史認識の共有をしてみたら如何かな(笑)。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。