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罵詈雑言に耐えてきた人々 [政治や歴史の話]

『宝島2014年11月号』の朝日新聞の山田厚史氏のコメントでこういう文章があった
「いま袋叩きの朝日を批判するのは誰でもできる。安全地帯から反論できない相手を叩きまくる、というやり方は格好いいものではない(9ページ)」。

今、当ブログでも、袋叩きの朝日新聞を批判する大キャンペーンを実施している。
安全地帯にいながら、相手を罵倒するのは、我ながら本当に楽しい(爆笑)。
多分、中国や韓国の威を借りて、日本を罵倒してきた朝日新聞も、同じような気分だったのだろう。

さて、小生は、たまに戦争に行った人達、または戦地に夫を送り出した人達の話を聞くことがある。
今まで4人の方と話したが、その方の話を書いてみたい。

1人目の方は、当時の位で、中位程度まで昇進した方。
その方は、身体を悪くする数年前まで、靖国神社に毎年のように行っていたそうだ。
小生がお会いした当時は体調がかなり悪く、会話もままならかった。
ただ、「私も靖国神社に3回行っているんですよ」と言うと、にこやかに笑っていた。
その方は、言葉は殆ど話せなかったが、小生は、そういう人達の意志は、何か感じるものがあった。

2人目の方は、最近亡くなったが、終戦末期に徴兵されて、シベリアに抑留された方。
「シベリアは本当にきつかった。兵隊仲間もかなり死んだ。ソ連の憲兵には、良い奴もいて、ジャガイモを多くくれる奴もいた。シベリアがきつかったから、日本に帰国してからは何でもやれた」。

3人目の方は、この方も終戦末期に徴兵された方。
「新聞が煽る程、戦況が良くないのは分かっていた。だって、兵器が極端に少なかったから。内心、『相当厳しいな』とは感じていた」。

4人目の方は、この方も終戦末期に徴兵された方。
「僕は身体が強くなかったから、乙クラスの兵隊だった。軍隊時代はよく殴られた、意味もなくね(笑)。でもその当時は、男子は軍隊に行くのは当たり前だと思っていた」。

5人目の方は、戦地に夫を送り出したが戦死、その後、その方の弟さんと結婚した方。
「私の夫は、戦死したから、靖国に居るの。今は身体を悪くして、もう靖国には行けないけどね。だから、安倍さんが靖国に行くのは大賛成。批判されるのは意味が分からない」。

戦後、朝日新聞等が作り上げた物語は、「日本の兵隊が悪いことをした」という物語であった。
中国や韓国に吹き込み、「アジアに迷惑をかけたから、首相は靖国に行くな」という主張を今も繰り返している。
実際に戦争を経験し、苦労をした人々の全てが、口達者だった訳ではない。
やはり、「敗戦国だし、他国に迷惑もかけた」という負い目もあっただろう。
戦後、戦死者が貶められても、無言でじっと耐えてきた。そういう人達が大半と思う。

戦後、安全地帯から、そういう人達を叩きまくってきたのは、一体何処のどいつだ。

小生は、ささやかながら、そういう、言われも無き批判をされながらも、声を上げなかった名も無き戦死者やその家族達の名誉を護る為、生きていきたいと考えている。
それこそが、日本の為に命を捧げた諸兄や諸姉への礼儀であろう。
タグ:政治
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コスモ牛丸

御意。
by コスモ牛丸 (2014-10-08 11:08) 

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