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三馬鹿トリオ [政治や歴史の話]

韓国という国は、どれだけ日本が気になるのだろう。
小生などは、不快なものは、極力目に入れたくない。そうやって生きている。
韓国人は、心底日本が嫌いなようだ。それならば、日本のことなど一切気にせず、断交すれば良いと思う。

私見では、現在、日本では、「もう韓国人の日本に対するネガティブイメージは消えず、今後もネガティブキャンペーンは続くだろう。それよりは、もっと親日国との関係を深めた方が得策である」と考える人々が確実に増えていると思われる。

韓国人の日本に対するネガティブキャンペーンを止められるのは、当の韓国人しかいない。
例えば、日本人が、韓国人の精神的奴隷となって、韓国人の意のままに、日本の歴史教育が行われ、韓国人の意のままに、日本が今後も韓国に経済援助(=奴隷からの供物)が来れば、韓国人のネガティブキャンペーンは止むだろうが。
韓国人の言う「日本人に求める心からの謝罪」と言うのは、こういう意味なのだと思う。
「言葉だけじゃないよ。精神的にも、金銭的にも、韓国に屈服せよ」というのが、韓国人の言う「謝罪せよ」という意味だ。そうだよね。韓国人諸君。
その手口に、アメリカも少しずつ気付きつつある。

再び、私見だが、小生は、韓国の中国への接近は、多分止まないと考えている。
日本を叩く為なら、中国の属国と化しても、中国の威を借りて、日本を罵倒するのが、精神的安定に繋がる人種になっている韓国人。元から、中国の属国みたいなものだから、属国の立ち振舞いは、お家芸だろう。
中国からいくら嫌がらせを受けても、只管堪えて、その鬱憤を日本にぶつけるのが韓国人の生き方だった。

日本の中には、やはり韓国は、中国や北朝鮮に対する防波堤として、アメリカ側につけておくべきだという考えが未だにある。それも、理解できる話だ。事実上、韓国はアメリカと軍事同盟中である。
しかしながら、小生は、もう、韓国も北朝鮮も、中国を含め、東亜の三馬鹿トリオは、日本の仮想敵国だと、はっきりと考えた方が、話がスッキリすると考えている。

この三ヶ国は、本来、日本を蔑視してきた。その日本から、一時的にせよ、併合されたり、領土を割譲されたことで、心理的にコンプレックスを未だに抱えているのが、この三ヶ国の連中である。
だから、日本がいくら謝罪しようが、難癖を付けて、いつまでもたかってやろうとする。謝罪を受け入れる気など、更々ないのである。

『SAPIO』2015年6月号
韓国の日本批判 米国がうんざりしていることにやっと気付く
2015.05.01 16:00
 韓国が日米関係強化に不満のようだ。本記事が出る頃は安倍晋三首相の訪米と米議会演説(4月29日)は終わっているだろうが、韓国は米国が日韓関係で日本寄りになり、日本の肩を持っているとしきりに文句を言っている。
 マスコミは「米議会での安倍演説を阻止出来なかったのは韓国外交の敗北」などと書きたてている。日米緊密化がまるで韓国の損であるかのように。
 不満の理由は「日韓関係の膠着や悪化の原因は韓国にある」と米国が考えていることが分かったからだ。米国は中国の軍事的膨張という「現実」を前に、韓国が依然として「現実」より「過去」にこだわって日本を非難し、日本との関係を改善しようとしないことに業を煮やしている。
 韓国が最もショックを受けたのはシャーマン米国務次官の「政治指導者が過去の敵を非難することで安上がりな拍手を受けることは難しいことではない。そんな挑発は発展ではなく麻痺をもたらす」との発言(2月27日、ワシントンでの講演)だ。これは明らかに朴槿恵大統領の対日外交を皮肉り批判したものだった。
 韓国マスコミはその後、そうした米国の雰囲気をワシントン発で「ワシントンで“対韓疲労感(Korean fatigue)”が広がる」と伝えている。慰安婦問題をはじめ「過去」にこだわった韓国の日本批判に米国はうんざりしているということが、やっと分かってきたのだ。
 そんな中で起きたのがリッパート米大使テロ事件(3月5日)。大使は親北朝鮮系の反日・反米活動家に顔と手を深く切られ重傷を負ったが、これを機に韓国では官民挙げて親米ムードが広がった。「米国を大事にしよう」、「韓米関係の強化を」というわけだ。「米国に冷たくされている」と感じつつあったため、ここぞと親米を強調し米国を韓国に引き戻そうと懸命だった。
 その後、朴槿恵大統領は中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)への参加を発表し、ロシアでの戦勝70周年記念行事への出席は断った。前者では中国にいい顔をする一方、後者ではウクライナ問題を理由にした米国からの出席拒否要請を受け入れ米国の顔を立てたのだ。
 韓国は今のところ「経済は中国」「安保は米国」という“二股外交”を展開している。その結果、この地域で安保問題の核心的課題になっている日米の軍事協力強化に対し依然、「過去」を理由に消極的な姿勢を続けている。「中国への気兼ねもある」(韓国外交筋)からだ。
 米国の対韓不満はこうした韓国の曖昧な外交にも向けられている。韓国は「安保は米国」といいながら、米韓軍事同盟を補強する日米軍事協力、つまり日本の軍事的役割拡大に対し「中国を刺激する」といって認めたがらないのだ。米国は韓国のこのどっちつかずに苛立っている。
 リッパート米大使事件で見せた過剰なほどの“親米パフォーマンス”と現実の外交の間にズレが見られる。安倍首相が日米同盟重視で対米協力強化を明確にするなか、朴槿恵大統領の“米中二股外交”は試練に直面している。
 対日外交停滞を含め、こうした状況に不安の韓国マスコミには、「瀬戸際の韓国外交」(3月21日・韓国日報)と悲鳴が出ている。
文/黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
タグ:政治
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日の丸をつける意味 [サッカーダイジェスト]

先日、ある集まりで、サッカーファンの方と話す機会があった。
「占畑さん。私も職場では中々サッカーのコアな話ができないんですよね」と言っていた。
確かに小生も、コアなサッカー話ができる相手は限られている。

その会話の中で、小生が、そのサッカーファン氏に語ったのは、「現在は、サッカー雑誌は定期的に購読はしているが試合を見ることは稀になった。以前から、どちらかというと、サッカーそのものよりも、サッカーを含めた文化論、サッカーの戦術論の方に興味がある」ということだった。

さて、昨日、スカパーのサッカー番組を見ていたら、金田喜稔氏が、非常に良いことを言っていた。小生が、サッカー番組で期待するのは、以下の様な、深い話である。

小生は、金田氏の解説はあまり聞いたことがなかった。
しかしながら、金田氏の日本代表論は、まさに正鵠を得ていた。
ここで、一部、改変しながら、金田氏が、番組中で発言した要旨を紹介したいと思う。

「ちょっと泥臭いことを言うと、僕は日本代表に選んで貰って、プレーした経験もあるが、これだけの日本の歴史、日本サッカーの歴史において、多くの先輩方が、沢山汗を流し、努力をされたお陰で、日本サッカー界は続いてきている。
例えば、メキシコ五輪の釜本邦茂さんや杉山隆一さん、八重樫茂生さん、亡くなられた長沼健監督(当時)、等々。色々な方々が努力をされたその延長線上で、僕もプレーできたし、今現在ヨーロッパでプレーしている選手達も、この延長線上でプレーしている訳です。
もっと言えば、例えば、この国を守る為に、戦争で命を亡くされた方々も沢山いる。サッカーをしていた先輩達の中にも、1943年、学徒出陣で、国立競技場で、パレードをしながら、この国を守る為に、又は家族や友人を守る為に戦地に赴かれたも沢山いた。
個人で競争で勝ち取った日の丸、日本代表というのも確かにある。しかしながら、僕にとって、日の丸をつける意味とは、そういう魂だとか、英霊達の熱い思いだとか、そういう先祖や先人達の気持ちに思いを馳せるのが日の丸をつける意味だと思っている。
先祖の熱い思いや魂が引き継がれて、日の丸をつけなければならない。だからこそ、日の丸をつけるということは、義務というよりも、そういう先人達の、いわば墓場の下から応援している先祖や先輩方の思いも含めて日の丸をつけるということなのだ。
それは義務ではなく、喜びや名誉や誇りなのだ。だからこそ、選手達は自分達の出来る範囲のプレーをピッチに立って表現できることが権利なのだ」。


文章にしてみても、金田氏の熱い思いが伝わってくる。
小生は、日本代表を応援している。しかしながら、過去に、「こいつは日本代表たりえない」と個人的に思っていた選手が少なからずいたのも事実だ。
以前も書いたが、小生は、日本代表の試合前の国歌斉唱で、国歌を歌わない選手は無条件に日本代表失格の烙印を押している。小生は、サッカーのプレーの質は問わない。というよりサッカーのプレーの質は分からない。小生は全くサッカー経験がない。だから、ある選手のプレーが良いとか悪いとかは、殆ど分からないのが実情である。
しかしながら、試合前の国歌斉唱での口の動きは、はっきりと確認できる(笑)。サッカーを知らなくても確認できる(笑)。
金田氏が言った所の、先祖や先人達の気持ちに思いを馳せながら日の丸をつけている選手ならば、国歌斉唱時に何をすれば良いかは自ずと分かってくる筈だ。

又、過去に日本代表に選出された喜びを素直に表現せずに、曖昧な表現に終始していた選手がいた。そういう選手は、結局、先祖や先人達の気持ちに思いを馳せながらプレーはしていなかったのだろう。当時から、そういう選手には胡散臭さを感じていたが、金田氏の意見を改めて聞いてみると、そういう選手達の胡散臭さが際立ってくる。
タグ:サッカー
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昔の曲も聴いてみよう [占畑レーベル]

最近、昔聴いていた、女性アーティストの曲を再び聴きたくなってきた。
小生は、中学校時代と高校時代は、岡村孝子女史や渡辺美里女史を聴いていた。
しかしながら、何か、そんな音楽を聴いていると公言すると、軟弱な男性に見られるのが嫌で、徐々に聴かなくなっていった。
でも、40歳になり、何故かそういう恥ずかしさがなくなってきた。
再び段ボール箱から、CDを取り出して聴いてみる。

「おっ。懐かしいし、良いね」。
タグ:音楽
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やはり、朝日新聞は、売国奴 [政治や歴史の話]

先日の沖縄県知事選挙で、普天間飛行場の県内移設反対を主張した翁長氏が当選した。
一部情報では、「翁長氏は、実際は中国の内応者であり、日本の防衛力低下の為に暗躍している」という話があるが、真偽は定かではない。その内、保守系のメディアが暴いてくれるだろう。

さて、売国メディア、朝日新聞は、翁長氏の当選に小躍りしている。
朝日新聞に出てこない文面といえば、中国の侵略行為というものであろう。

憲法九条を護る為には、日本の周辺国が全て平和愛好国家でなければならない。
事実は違うのだから、朝日新聞は、周辺国の真実を隠蔽するのが常だ。
例えば、天声人語は、「琉球王国は(略)、礼儀を正しく守り、しかも武器を持たない国である」と書いているが、何時の話ですか(笑)。
社説でも、「中国の海洋進出」って、書いてるけど、頭、大丈夫(苦笑)。

「ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は『中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱になった』と指摘する。沖縄だけに基地を集める発想はかえって危ういという意見だ」とジョセフ・ナイ氏の意見を引いている。
しかしながら、ナイ氏は、「中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱になった」と言っているだけであり、小生から見れば、「じゃあ、沖縄以外の地域の防衛力は上げる必要がある」とも取れるのだが。

「沖縄だけに基地を集める発想はかえって危うい」と小生も思う。中国地方や九州地方にも、基地負担はしていく必要があるだろう。
朝日新聞に見えてこないのは、結局、沖縄の基地負担は訴えるが、沖縄の軍事力低下に伴う、周辺国の軍事的挑発に対する対抗策なのである。

沖縄県知事選―辺野古移設は白紙に戻せ
2014年11月17日(月)付
 沖縄県知事選で、新顔の翁長雄志(おながたけし)氏(64)が現職の仲井真弘多(なかいまひろかず)氏(75)らを大差で破り当選した。「これ以上の基地負担には耐えられない」という県民の声が翁長氏を押し上げた。
 最大の争点は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非だった。1月の名護市長選、9月の同市議選に続き、知事選も移設反対派が制したことで、地元の民意は定まったと言える。
 「沖縄に寄り添う」と繰り返してきた安倍政権である。辺野古への移設計画は白紙に戻すしかない。

■「保革」超えた動き
 政権側は辺野古移設を「過去の問題」として、知事選での争点化を避けようとした。
 だが、翁長氏は「あらゆる手法を駆使して辺野古に新基地をつくらせない」と主張。仲井真氏は「一日も早い普天間飛行場の危険除去には、辺野古移設が具体的で現実的な方策」と応じた。民意は翁長氏についた。
 県民にとって、今回の知事選には特別な意味があった。
 普天間飛行場の海兵隊は、山梨県や岐阜県の基地から、米軍政下の沖縄に移ってきた。米軍は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強権的手段で住民の土地を奪い、基地を建設した。
 そして、国土の0・6%の沖縄に、全国の米軍専用施設の74%が集中する不公平。
 「基地は県民が認めて出来た訳ではない。今回、辺野古移設を受け入れれば、初めて自ら基地建設を認めることになる。それで良いのか」。県内にはそんな問題意識が渦巻く。
 それは「本土」への抜きがたい不信であるとともに、「自己決定権」の問題でもある。自分たちが暮らす土地や海、空をどう使うのか、決める権利は本来、我々にこそある、と。
 前那覇市長で保守系の翁長氏は「イデオロギーでなく沖縄のアイデンティティーを大切に」と訴え、保守の一部と革新との大同団結を実現した。とかく「保革」という対立構図でとらえられがちだった沖縄の政治に起きた新しい動きだ。

■公約違反に「ノー」
 96年に日米両政府が普天間返還に合意し、移設先として辺野古が浮上して18年。この間ずっと沖縄では、辺野古移設が政治対立の焦点となってきた。
 転機は2009年、「最低でも県外」と訴えた民主党の鳩山政権の登場だった。迷走の末、辺野古移設に逆戻りしたものの、「県外移設」に傾いた県民感情は収まらない。
 辺野古容認派の仲井真氏も、前回10年の知事選では「県外」を求め、再選された。
 以来、自民、公明を含めた沖縄の主要政党が辺野古移設反対で一致。「オール沖縄」と呼ばれる状況が生まれた。
 ところが、自民が政権に復帰すると、激しい巻き返しが始まる。党本部の圧力で、党国会議員団、党県連が、辺野古容認に再転換。仲井真氏も昨年末、埋め立てを承認した。
 今回有権者が突きつけたのは、本土の政権に屈して公約を覆した地元政治家に対する「ノー」だったとも言える。
 政府がこの夏、ものものしい警備のなか、辺野古のボーリング調査を強行したことも、県民の怒りを増幅させた。
 政府が打ち出す基地負担軽減策も、県民には「選挙対策か」と空々しく映っただろう。

■唯一の選択肢か
 なぜ、日本政府は沖縄に基地負担を強い続けるのか。
 最近は、中国の海洋進出や尖閣諸島の問題があるからだと言われる。だがそれは、米海兵隊の恒久的な基地を沖縄につくる理由になるのだろうか。
 尖閣周辺の対応は海上保安庁が基本だ。万が一の場合でも、少なくとも海兵隊が沖縄の基地に張り付いている必要はない。
 日米両政府は「辺野古が唯一の選択肢」と強調するが、米国の専門家の間では代替策も模索されている。フィリピンや豪州に海兵隊を巡回配備し、ハワイやグアム、日本本土も含め地域全体で抑止力を保つ考え方だ。
 米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は「中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱になった」と指摘する。沖縄だけに基地を集める発想はかえって危ういという意見だ。
 「辺野古移設か、普天間の固定化か」。第三の道となる代替策を無視して二者択一を迫る政府の手法は、適切ではない。
 しかし、政権内に辺野古移設を見直す気配はない。新知事となる翁長氏に、沖縄への一括交付金の削減で対抗するという声すら聞こえてくる。
 明白になった沖縄の民意をないがしろにすれば、本土との亀裂はさらに深まる。地元の理解を失って、安定した安全保障政策が成り立つはずもない。
 知事選を経て、普天間問題は新たな段階に入った。二者択一の思考停止から抜け出す好機だろう。政府は米国との協議を急ぎ、代替策を探るべきだ。

天声人語
2014年11月17日(月)付
 琉球王国は古くから「守礼の邦(くに)」として知られていた。礼儀を正しく守り、しかも武器を持たない国である。そのよって立つところは「万国津梁(しんりょう)」の精神だ。
 津梁とは渡しと橋を意味する。中国や朝鮮半島、日本など各国をつなぐ懸け橋になろう。そんな気概が込められている。作家の陳舜臣(ちんしゅんしん)さんは、2000年沖縄サミットの際の本紙への寄稿で、琉球が示した近隣との協調性、非武装による通商外交の理念と、それを支えた現実主義を称えた。
 沖縄県知事選の選挙戦で、翁長雄志氏が繰り返し強調したのも万国津梁の精神だった。加えて、首里城、沖縄空手、歌三線(うたさんしん)。可能性を秘める沖縄のソフトパワーを次々挙げた。これらをしっかり引き継ぎ、次世代が希望と勇気を持って世界に雄飛できるようにしよう、と。
 イデオロギー対立ではなく、県民のアイデンティティーを。翁長氏の「オール沖縄」の訴えが勝利を収めた。本土にあった保革の対立を反映し、県民が二手に分かれて争う。その長年の構図が崩れた。保守の翁長氏と革新の協力は大きな政治変動だ。
 基地経済か平和かという、やはり二者択一を迫る構図も輪郭を失った。翁長氏は「基地は沖縄経済の阻害要因」と言い切った。振興予算で懐柔をはかる政権に侮られてはならない。そんな県民の反発がこの結果を生んだ。
 沖縄の基地問題をどうしていくのか。「日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきものだ」。翁長氏の主張が本土の一人一人に迫ってくる。
タグ:政治
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褒められて伸びる子 [占畑レーベル]

先日、カラオケバーに友人達7人と行った。
途中から、7人の友人達は話に夢中で、小生は金が勿体ないので、一人で連続で歌っていた。
バーのお姉さんと話す。
「昔は、一人でカラオケにも行ったりした。今は、カラオケも大分下火になりましたが」。

そのお姉さんが、「お客さん、歌上手いねえ。よく歌うでしょ」と言ってくれた(お世辞かもしれない)。
こういう言葉、嬉しいよね。お世辞でも。

少し、本格的に、歌でも習ってみようかな。
タグ:カラオケ
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加地伸行氏の意見 [政治や歴史の話]

この人の文章も結構好き。
本も何冊か持っている。

目標を失い漂流する朝日 立命館大フェロー・加地伸行
産経新聞 2014年10月19日
 9月11日、吉田調書の報道等に朝日新聞社長が形ばかりの謝罪をした。詳細はすでに報道されている。
 その翌日、様々なコメントが出ていたが、最も印象的だったのは、石破茂地方創生担当相がBS放送で語ったという皮肉である。同日付産経新聞に依れば、朝日の記者は「どれほどの国語能力を持っていたのか。どう見ても読み誤りようがない。朝日の入社試験を受けたことがないから知らないが、相当の国語能力がないと採用されないのではないか」と。
 記事の見出しは「朝日記者の国語能力疑問」。その朝日新聞が「語彙・読解力検定」なる国語試験を営業しているのであるから、これはもうブラックジョーク。

 ならば、次回に次のような出題にしてはどうか。
 次の項目から、最も罪深いものを1つ選びなさい。
 (1)従軍慰安婦 (2)従軍看護婦 (3)従軍漫才師 (4)従軍記者。
 正解は、勿論(4)である。かつて毎日新聞(前身)の従軍記者は、2人の日本軍将校の中国での百人斬り競争という、ありえない記事を書いた。そのため、敗戦後、2人は裁判とは言えない裁判で死刑となった。
 そうした記事の責任など、どこ吹く風、戦後、この記者は中国の保護を受けて暮らした。

 さて、謝罪後の朝日新聞、今後その体質は変わるのか。断言しておこう、「変わらない」と。
 何故か。その訳を言おう。
 話は約60年前、私の大学生時代に遡る。当時、日本を社会主義(あわよくば共産主義)国家にしようという大きな思想的潮流があった。それもやや現実味を帯びて。
 大学では、学問や研究をするのはその為と思い込んでいた教師や学生が多かった。社会にもまた同様の集団が多く存在し活動していた。
 当然、社会主義や共産主義の支持者が多かった新聞社は保守政権批判を第一とした。
 新聞の言論は、公平性が第一などと言っている人がいるが、カマトトもいいところ。まずは既に一定の思想的立場があり、日本は、彼らの祖国「ソ連(当時)」の植民地になることを目的としていた。全てはソ連の下に。
 ところが、そのソ連が崩壊したため、目標を失ってしまった。だが、長年かけてできた保守政権批判等の体質は、そう簡単に変えられるものではない。相変わらず批判という不遜な安住をし、今日に至っている。
 とにかく、保守政権の悪口を言っておれば「高度の批判」風に見せかけることができ、一丁上がり。日本を社会主義国家へという目標を失い、漂流しているのが朝日の現状である。その為、捏造だって何だって平気という荒廃となった。そういう社風の体質は変えようがない。
 中国は古代、鐘を盗んだ男が逃げていたが、大きくて重い。そこで砕いてまとめようとして鐘を割ったところ、大音響(大嘘の報道)。それを他人が聞いて「鐘を奪いに来るかも」と心配して、「(自分の)その耳を掩(おお)えり(『呂氏春秋』自知)」と。

水泳 [今日のスポーツニュース]

今、週に一度、金曜日に、近所のプールに、水泳を習いに行っている。
3ヶ月、12回の練習で、料金は1000円。かなり安い。プールの料金は、大人は350円なのだが、小生は半年会員の為、前払いしている。
大人のクラスで、実際は7人いるらしいのだが、仕事の都合で、いつもは5人が参加している。

自由形の練習をしているのだが、中々上達しない。
自由形はこの教室で矯正するとして、小生の友人で、水泳のインストラクターをしている人がいる。その人から、平泳ぎのレッスンを受けようと考えている。
タグ:水泳
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思想戦(3) [政治や歴史の話]

何かこの人も、競馬の予想番組に出ていた時は、こんな阿呆とは思わなかった。
「『国家の敵』は世界共通のレッテルで、皆で叩く苛めと同じです」と言っているが、売国行為は、「それ、売国行為だよね」って、きちんと指摘しないと、ズルズルそのまま売国行為を続けるからね。

「誤報は擁護のしようもないし、批判を受け入れるべきだ」ってのは、枕詞だよな。
結局、朝日新聞の擁護に走ってる。
駄目だ、こりゃ。

戦後の朝日新聞が誰かを殺したり、女性を暴行したりしたでしょうか」。
うん。言葉の暴力で、日本を貶めてきましたが、何か。

慰安婦問題:朝日報道 メディアで飛び交う「売国・国賊」
毎日新聞 2014年10月17日 17時34分
(前記事の続きから)
 高橋源一郎さん「容認こそ問題」
 作家、高橋源一郎さん(63)は「批判とレッテル貼りは違う」と指摘する。「『国家の敵』は世界共通のレッテルで、皆で叩く苛めと同じです。昔はこんなことをやっていいのかという意識があったが、今は一線を越えてしまっている」。更に「売国とか国賊とか反日とかいう言葉へのメディアの批判が少ないことに驚いています。批判しないことは容認することと同じだからです。僕ははっきり言ってこっちの方が重大な問題だと思う。かつてナチスについて、ドイツの知識人はまともに相手せず批判しなかった。そのナチスは政権を取ってしまった。日本だって、言論を圧殺するような連中が政権を取らないとは限りません」。
 朝日新聞の論壇時評(9月25日付)で高橋さんは「誤報は擁護のしようもないし、批判を受け入れるべきだ」と書いた上で、米国の作家、スーザン・ソンタグさん(04年死去)を紹介した。彼女は01年の米同時多発テロ直後「まず、共に悲しもう。だが、皆で一緒に愚か者になる必要はない」「現実を隠蔽する物言いは、成熟した民主国家の名を汚す」と反撃に逸る米国民を戒めた。
 「ソンタグは国中から怒りを買い『売国奴』と見なされましたが、それでも発言を続けた。母国が憎悪にかられて暴走するのを止めたかったのでしょう。僕は彼女のような人が愛国者だと思う」
 そのうえで「従軍慰安婦についての朝日の誤報が日本を貶めた」という論調に一番違和感があると強調する。「戦後の朝日新聞が誰かを殺したり、女性を暴行したりしたでしょうか。日本を本当に貶めたのは、軍事力をもって他国に踏み入った戦前の日本国と日本軍ではないですか。批判すべき先を間違っていませんか」。
 淡々と、自らに言い聞かせるように続けた。「ソンタグが9・11直後、即発言できたのは日頃から自分の思想を鍛えていたから。今こそ、私達の知恵と勇気が試されているのではないでしょうか」。
 言葉は、発する者を映す。心して選ばねばなるまい。【吉井理記】
タグ:政治
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思想戦(2) [政治や歴史の話]

小生が問題視しているのは、無自覚に売国行為をしているマスメディアの罪である。
朝日新聞や毎日新聞が常としていたのは、日本国内で、中国や韓国の別働隊として活動し、中国や韓国が喜び、日本が困るようなネタを探し出し、「中国様や韓国様はこんなにお怒りになっているぞ」と、中国や韓国の代弁者となっていた。
中国や韓国から日本の悪口を言うように要請されているなら、売国行為と言われても仕方がない。
中国や韓国から要請されていないのに、日本の悪口を言っているのなら、何の目的で、そういう行動を取るのか。

マスメディアの役割の一つに、国家権力をチェックするというものがあるのは、小生も知っている。
しかしながら、国家権力を批判したい為に、捏造を犯して良い筈がない。
マスメディアが捏造をしてバレても、少し謝る(ふりをする)だけで、責任を取らなくても良いことを考えれば、食品偽装がバレて、廃業に追い込まれた「船場吉兆」とかの方が、まだ責任を取ったと言えるだろう。

朝日新聞や毎日新聞は、中国や韓国と裏で繋がってはいないだろうか。
一応、人間としての良心は持っていると信じたいのだが。

下の文章で、渡辺氏は、「『オレは売国奴だ、国賊だ』と思っている人がどこにいますか。『改憲に賛成か反対か』という議論と違い、『売国か愛国か』という議論など成り立ちません」と怒っている。
私見では、朝日新聞や毎日新聞は、「俺達は売国奴だ、国賊だ」という気概を逆に持って欲しいと思う。実態が、そうなのだから。
そして、「我々は、日本よりも中国や韓国の立場で報道します」と、高らかに宣言するべきだと思うのだ。
中立のフリが一番良くない。
そこまで宣言して、読者に判断を委ねるべきだと思う。

田原氏は、「何か自分が『正しい側にいる』『勝った』ような気になるのでしょう」と言っているが、「それは、お前もだろ」と言いたいね。

慰安婦問題:朝日報道 メディアで飛び交う「売国・国賊」
毎日新聞 2014年10月17日 17時34分
(前記事の続きから)
 それはなぜか。
 「今起きているのは、戦後70年で初めてと言える、重大な社会現象と捉えるべきです」。日本政治史に詳しい一橋大名誉教授、渡辺治さん(67)を訪ねると、嘆息しながら想像以上に重い言葉が返ってきた。渡辺さんは、売国、国賊という言葉がこれほど“市民権”を得たのは、ごく最近だと見る。
 戦前でいえば、例えば1918年、シベリア出兵など当時の国策を批判した大阪朝日新聞を政府が弾圧し、さらに右翼が襲撃する事件(白虹事件)があった。この時、社長は右翼に縛られ、首に「国賊」と記された布を巻き付けられたが「右翼の活動家の世界でのことで、今の『朝日バッシング』のような社会的な広がりはなかった」という。
 なぜなら、戦前は新聞紙法や治安維持法などの言論弾圧法があり、政府が危険視する言論は国民の目に触れる前に封殺されたからだ。法律で取り締まれないリベラル派政治家に対し、右翼団体が使ったのが「売国」「国賊」という言葉で、現在のように巷に氾濫する言葉ではなかった。
 「状況が一変するのは30年代の満州事変以降、政府が国民を戦争に引っ張る時代です。政府は戦争に反対・批判する言論を容赦なく取り締まり、『非国民』『売国奴』というレッテルは、戦争に消極的な言論や言論人に向けられ、マスメディアをより積極的な戦争協力に駆り立てるために使われたのです」。
 戦後、言論への弾圧法はなくなった。自民党政権も軍事力による海外進出は志向せず、安定的な高度成長を目指した。売国、国賊という言葉は、国策面で必要とされなかった。
 この言葉を振り回したのは戦前同様、過激な右翼団体だ。記者が殺害されるなどした朝日新聞襲撃事件(87〜88年)や長崎市長銃撃事件(90年)、河野洋平元衆院議長らが脅迫された建国義勇軍事件(2002〜03年)、加藤紘一元自民党幹事長宅放火事件(06年)などの政治・言論テロの犯行声明や脅迫文、裁判陳述で頻出する。
 「そんな言葉を大手メディアが使い出したのは驚くべき事態です。考えてみてください。『オレは売国奴だ、国賊だ』と思っている人がどこにいますか。『改憲に賛成か反対か』という議論と違い、『売国か愛国か』という議論など成り立ちません。つまりこうした言葉は自由な言論を生むのではなく、言論封殺の為の暴力でしかない。朝日の誤報問題とは別次元の深刻な問題です」と渡辺さんはショックを隠さない。
 田原さんも「売国とか国賊という言葉は相手を問答無用で叩き潰し、致命的な打撃を与える言葉です。このような言葉を吐くことで、何か自分が『正しい側にいる』『勝った』ような気になるのでしょう。本当に自分の主張や考えが正しい自信があるのなら、こんな言葉は決して使いません。特に自由で多様な言論によって立つメディアが使う言葉ではない。メディアの自殺でもあるし、民主主義の否定につながりかねません」と目を怒らせた。
 批判と罵倒は異なる。メディアやジャーナリスト、作家らが、「言論を封殺する罵倒語」を使えば、それは当然市民にも広がっていく。
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思想戦(1) [政治や歴史の話]

日本は右翼化しているのか。小生の感想では、「イエス」である。
ただ、この右翼化は、基本的には、小生は賛成している。
何故なら、朝日新聞や毎日新聞が護ろうとしてきたもの、所謂、「戦後民主主義的なもの」は、無くした方が、日本にとって好ましいと思っているからだ。
下の毎日新聞の記事に出ている三人は、基本的には戦後民主主義的なものの擁護者であり、今流行りの言葉で言えば、「売国奴」の部類であろう。
彼等が護ろうとしてきたものとは、例えば、「日本は過去の戦争で悪いことをしたのだから、中韓の言うことには従わなければならない」と言う教えとか、「憲法第九条は、例え日本が軽く侵略されても護るべきものである」と言う教えである。
現在、「戦後民主主義的なもの」を護ろうとする勢力と、それを廃棄しようとする勢力の思想戦が起こっている。

田原氏は、「僕は朝日新聞を『売国奴』とは思いません。当然、彼らは日本を愛していますよ」と朝日新聞を擁護している。小生の目から見ると、いつも中国や韓国の肩を持ち、日本を非難する側に立っている朝日新聞から、愛国心など感じたことは無いけどなあ。「売国心」は感じるけど(苦笑)。

田原氏は、「朝日が主張したのは戦時中の日本の軍隊は決して良くなかったんだ、ということです。その要因の一つに慰安婦問題があり、追及する過程で『吉田証言』を報じた。でもそれは虚偽だった。それは『売国』行為なのでしょうか」と書いている。

ここで、小生が疑問に感じたことは、以下の3点。
「戦時中の日本の軍隊をどうこう言う前に、戦前の朝日新聞は、マスメディアとして、戦争を煽った責任があると思うが、その真摯な反省はなされたのか」。
「戦前の朝日新聞の戦争責任を隠蔽する目的で、朝日新聞は、戦時中の日本の軍隊を意図的に悪く言ってきたのではないか」。
「戦時中の日本の軍隊を悪く言う為に、朝日新聞は虚偽を働いたが、売国行為以前に、そういう行為がマスメディアとして許されて良いのか」。

田原氏は、「それは『売国』行為なのでしょうか」なんて、呑気な書き方をしているが、阿呆としか言い様がない。
「売国」行為というよりも、マスメディア失格の行為を朝日新聞は働いた訳で、「戦時中の日本の軍隊を悪く言う為に、虚報という形で筆が滑った」ということが罷り通るなら、何でもアリだろう。

田原氏は、「一番凄かったのは靖国神社参拝問題かなあ。『A級戦犯が祀られている以上、首相参拝はダメだ』と言ったら、『田原は国賊だ』という視聴者からの電話やらファクスやらがじゃんじゃん来て」と書いている。
小生が最近感じているのが、「朝日新聞や毎日新聞は、靖国参拝を批判する中韓に、日本の立場を説明した気配はないが、中韓の意見を丸呑みして、日本国に垂れ流す行為は、日本人としてどうなのよ」ということだ。

保守的な小生ですら、A級戦犯を合祀している靖国神社に首相が参拝するのを論理的に、明確に全世界に発信し続けることは難しいと考えている。
東京裁判の是非は兎も角、一応、A級戦犯は、日本側の戦争遂行者であり、広義の戦争責任は問われなければならない。日本人を戦禍に陥れた意味でもね。心情的には、日本を戦争に誘導していたアメリカ等の戦争責任も、あるとは思うが。

さて、そういう瑕疵が靖国神社に無い訳ではない。神道形式なのが、気に入らない仏教関係者もきっといるだろう。
「靖国で会おう」と死んでいった人々。本心は、「死にたくない」だったかもしれないし、別の心情だったかもしれない。

ただ、ただ、その「靖国で会おう」と死んでいった人々の気持ちを慮れば、中国や韓国から何か言われても、「ちょっと待って。日本人の立場も分かってよ」と言い返せない朝日新聞、毎日新聞や田原氏、その他の「売国日本をあまりお好きでないジャーナリスト」って、やっぱり愛国心がないのかなあ、と小生は思ってしまうのである。

慰安婦問題:朝日報道 メディアで飛び交う「売国・国賊」
毎日新聞 2014年10月17日 17時34分(最終更新 10月17日 17時53分)
 田原総一朗さん「メディアが使うのまずい」 渡辺治さん「右翼が攻撃に使った用語」
 売国、国賊、国辱。21世紀、平成ニッポンとは思えない言葉が飛び交っている。従軍慰安婦問題などを巡り、誤報記事を取り消した朝日新聞に浴びせられるこのフレーズ、インターネットの匿名掲示板などではなく今やメディアが乱発している。さすがにおかしくないか。
 外国人観光客も多い築地市場を望む朝日新聞東京本社(東京・築地)。ここで週2回、保守系団体による抗議集会が続いている。
 10日昼の集会に参加したのは十数人。植え込みに日の丸やプラカードを林立させ、朝日新聞不買を訴えるTシャツを着たメンバーが「『従軍慰安婦』は朝日新聞の捏造だ」と記されたビラを配っていた。「こんなことは言いたくないが、朝日新聞は地獄に落ちろと言いたい!」。スピーカーを使った演説に、メンバーから「そうだっ」と合いの手が入る。
 向かいのブロックには国立がん研究センター中央病院がある。病院前でのスピーカーの音量は気になるが、その言葉遣いについて、もはや驚かない自分がいる。
 何せ、朝日新聞が記事を取り消した8月上旬から「朝日新聞 『売国のDNA』」(週刊文春9月4日号)、「中国共産党に国を売った」(同9月18日号)、「1億国民が報道被害者」(週刊新潮9月4日号)、「売国虚報32年」(同9月25日号)、「廃刊せよ! 消えぬ反日報道の大罪」(月刊誌「正論」10月号)、「言い逃れできぬ『慰安婦』国辱責任」(同11月号)といった文字・記事が書店やら電車の中釣り広告やらにあふれているのだ。
 例に挙げたのは、いずれも大手出版社や新聞社が発行する媒体だ。誤報は批判されて当然だが、このおどろおどろしい言葉遣いは何なのか。
 時に朝日新聞以上のバッシングを浴びてきたかもしれないジャーナリストに聞いてみた。討論番組の司会でおなじみ、田原総一朗さん(80)だ。
 「僕は朝日新聞を『売国奴』とは思いません。当然、彼らは日本を愛していますよ」とストレートに切り出した。
 「朝日が主張したのは戦時中の日本の軍隊は決して良くなかったんだ、ということです。その要因の一つに慰安婦問題があり、追及する過程で『吉田証言』を報じた。でもそれは虚偽だった。それは『売国』行為なのでしょうか」。
 自身も左派からは「体制の犬」、右派からは「売国奴」などと言われ続けてきたという。「一番凄かったのは靖国神社参拝問題かなあ。『A級戦犯が祀られている以上、首相参拝はダメだ』と言ったら、『田原は国賊だ』という視聴者からの電話やらファクスやらがじゃんじゃん来て。ま、敢えて波風を立てるのがジャーナリストの仕事ですからねえ」。
 自身への批判はさほど意に介する様子はないが、話題が朝日新聞批判に戻ると声色が沈んだ。
 「売国、国賊、ですか。本来、決してメディアや言論人が使ってはならない言葉です。視聴者からの批判と違って、メディアがこの言葉を安易に使うのはまずいな、と心配しています」。
(以下略)
タグ:政治
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正式に入会 [今日のスポーツニュース]

10月15日付けで、正式に少林寺拳法に入会した。
少林寺拳法本部としては、2014年10月入会ということになる。

まずは、初段を目指すことになる。大体の目安として、入会から、約3年程度かかるそうだ。
さて、今から30~40年程前は、日本に一種の中国拳法ブームがあった。そのブームの背景には、当時流行していたカンフー映画の影響があった。小生も、『少林寺三十六房』とかは熱心に見た口だ。

少林寺拳法自体は、開祖宗道臣が、中国拳法をモチーフに体系化した、日本産の拳法である。
基本的には、護身術であり、極真空手やキックボクシングのように、身体を極限まで鍛えて、相手を打ち倒す格闘技ではない。
又、自分のペースに合わせて、徐々に技術を伸ばしていく。
昇段も、5人抜きとかそういう感じではなく、技の理解度や少林寺拳法の教義の理解度を試すもので、ある段位までは、努力次第で取得できるそうだ。

「少林寺拳法は、ガチンコの強さを鍛える類いのものではない。まずは、最低限、自分の身を守る技術を身に付けましょう」と、道院長も言っておられた。
タグ:少林寺拳法
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朝日新聞と高橋大輔 [政治や歴史の話]

朝日新聞は全く懲りていないらしい。
反省する気がない。やはり、不買運動をして追い込むしか手が無いだろう。

10月15日付けの社説もひどいものだった。

「朝日新聞への批判から逃げようというのではない。ただ、慰安婦報道に携わった元記者の勤め先の大学が脅迫される程に過熱しては、多様な価値観が共存できる筈の社会の基盤が脅かされる」の部分に、朝日新聞の正体が滲み出ている。

いつも朝日新聞が言う所の「日本人は過去の過ちに対する反省が足りない」というセリフは、朝日新聞自身には向けられていないことが分かる。
朝日新聞が言いたいのは、「ただ、」以降の文章であり、「朝日新聞への批判から逃げようというのではない」というのは、単なる枕詞である。
意見の多様性の排除ではない。意図的に捏造したものなど、意見に値しない。違うかい。

先日、日本人に、「夢と希望」を与えたスケートの高橋大輔選手が、現役引退を発表した。
翻って、朝日新聞が日本人に与えたものは何だろうと考えてみた。
多分、「膿と絶望」。この程度だろう。

2014年10月15日(水)付社説
新聞と言論―社会を単色にはしない
 新聞に求められる言論機関としての役割は何だろう。新聞週間を機に考えてみたい。
 朝日新聞の場合は、オピニオン面が主に言論のフォーラム機能を担っている。読者からの声、識者からの寄稿やインタビュー、そして社説が載る。
 社説の内容は、20人あまりの論説委員によって積み重ねられてきた毎日の議論にもとづいている。その主張については最終的に論説主幹が責任を負う。
 委員の間で意見が割れ、激論になることもある。ただ、異論も踏まえているからこそ、論説主幹個人のものではない社の主張として成り立っている。
 読者や識者の考えは、必ずしも社説とは一致しない。池上彰さんのコラム掲載見合わせは悔やみ切れない過ちだが、オピニオン面や紙面全体を通じて、社説にとらわれない多様な視点を提供しようと努めている。
 このところ、各新聞社の間で社説の主張が大きく二分されることが目立つ。
 例えば、集団的自衛権の行使を認める7月の閣議決定。朝日新聞は「この暴挙を超えて」と題する社説で、解釈改憲に踏み切った安倍政権を批判した。
 一方、読売新聞は「抑止力向上へ意義深い『容認』」との見出しで、自民・公明の与党合意に基づく決定を歓迎した。
 こうした違いがあることは、日本の言論空間が健全であることの表れだ。
 それでも、自戒を込めていえば、意見の対立が激しくなるほど「我々が正しいのだ」と筆に力が入る。記者が陥りがちな悪い癖かもしれない。行き過ぎればメディアが政治のプレーヤーになりかねない。そうなると、まるで政治闘争であるかのように筆はとがっていく。
 安倍首相の憲法への姿勢に対し、私たちは「憲法によって権力を縛る立憲主義に反する」と批判してきた。
 一方、立憲主義には「多様な価値観の共存を実現する」というもう一つの大きな意味があると憲法学は教える。
 朝日新聞への批判から逃げようというのではない。ただ、慰安婦報道に携わった元記者の勤め先の大学が脅迫される程に過熱しては、多様な価値観が共存できる筈の社会の基盤が脅かされる。
 新聞の役割は、意見の対立を煽ることではない。考える材料をいかに社会に提供できるかにある。そのことを改めて確かめておきたい。
 私達の社会が、一つの色に染められてしまうことに抗するためにも。
タグ:政治
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九条護持派の心理 [政治や歴史の話]

以前から感じていた疑問があった。
「何故、朝日新聞等には、日本の兵隊の悪評ばかり載るのだろう」。
愛国的な小生は、過去の日本の戦死者や戦没者に崇敬の念を抱くことはあっても、彼等の悪行を暴いたり、ましてや、朝日新聞のように、捏造を犯してまで、彼等を貶める気が起こらない。

私見では、「朝日系の人々が、日本の兵隊を悪く言うのは、憲法第九条を護る為なのではないか」ということである。
「日本の兵隊は悪いことしてきた。今もしている。だから、いらない」。
そういう印象操作が行なわれている。100人斬り捏造、南京大虐殺、慰安婦、等々。
日本の兵隊のイメージダウン運動が、展開されてきた(今も進行中である)。
更に、朝日系の人々は、日教組とグルになって、小学校から、そういうイメージを子供達に刷り込もうとしていた。

多分、最初は、憲法第九条を護ることで、日本に共産主義革命を起こすか、共産国家から侵略される形で、共産国化する目的だったのだろう。それが不可能になると、今度は、第九条を絶対化し、日本の防衛意識養成を阻み、自衛隊を違憲状態にさせることで、近隣諸国の利便を図ってきた。

例えば、日本に明らかに敵意剥き出しの国家がある。何処とは敢えて言わないが。
朝日系の論調によれば、「相手から銃を向けられたら、こっちは、銃など構えず、笑顔一杯に、『こちらは平和を愛しています』と答えましょう」と言っている感じだ。
朝日系の人々から、「日本がアジア諸国に脅威を与えている」というコメントはよく聞かれるが、「日本が他国の脅威に晒されている」というコメントは、まず聞いたことがない。

又、私見では、愛国者で第九条護持派はまずいないということである。いたら、ごめんね(笑)。
「私は日本が大好き。だから、憲法第九条を護りましょう」なんて人は、お目にかかったことがない。
単純な疑問だが、そんなに崇高な理論なら、何故他国が、こぞって採用しないのだろう。
憲法第九条支持派に聞きたいのだが、憲法第九条をどう読めば、個別的自衛権があると分かるのか。
又、憲法第九条と自衛隊は、一体どういう関係なのか。

例えば、今回、「憲法第九条」がノーベル平和賞を受賞したとしたら、平和賞をえらんだ選考者は、相当なお馬鹿さんである。何故なら、憲法第九条を一瞥して、個別的自衛権の概念も分からなければ、今ある自衛隊との関係も、分からないからだ。

結局は、第九条護持派は、自国民を信用していない。「憲法第九条を破棄すれば、馬鹿な日本人は又戦争をするぞ。だから、憲法第九条が必要だ」と言っている。これ程日本人を馬鹿にした発言もないだろう。
「こういう第九条を護れ」と言って、「九条をノーベル平和賞を」と運動を始めたのは、神奈川県の子育て中の主婦だそうだが、日本人が、日本人を馬鹿にする憲法の条文を護ろうとするって、意味分かってますか。

憲法九条の会とかに入っている連中は、基本的に、「日本人は何をするか分からないから、第九条でストッパーをかける」と言っていることから分かるように、日本人を信用していない。もっと言うと、日本人を侮蔑しているのだ。入っている知識人風の人々の顔を見ても、日本や日本人を侮辱する発言をしてきた連中ばかり。又、そういう人に限って、中国や韓国の肩を持ち、彼等の言い分を日本に喧伝してきた。
「中国や韓国が日本の動きに警戒している」と、日本を脅し、中国や韓国の悪事は矮小化する。
「日本の周りには、良い国しかいない。だから、軍事力はいらない」というロジックなのだ。

朝日新聞は天声人語で、「ノーベル平和賞に選ばれて残念」みたいな発言をしている。
「ノーベル平和賞に選ばれてしまえば、そう簡単に改憲できまい」という政治運動だったのだろう。

天声人語
2014年10月11日(土)付
 有名な短歌のもじりとはいえ口調は真剣だ。本歌は俵万智さんのサラダ記念日。「憲法を解釈だけで変えられる、だから7月1日は『壊憲(かいけん)』記念日」。社会学者の上野千鶴子さんが今月8日、東京の日比谷であった集会で詠み上げた。
 7月1日は、憲法9条の解釈を変えて、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定の日。その撤回を求めて日本弁護士連合会が催した。第1次安倍内閣などで内閣法制局長官を務めた宮崎礼壹(れいいち)さんも訴えた。「閣議決定は読みようでいくらでも広く解釈し、適用できる。歯止めの名に値しない。反対の声を上げなければ」。
 9条の危機を憂える人々の声がやまない。日本の歩む方向が大きく変わるかもしれないという懸念である。なかでも意表をつく発想で国内外から注目されたのが、「9条にノーベル平和賞を」と呼びかける市民の運動だ。
 神奈川県の子育て中の主婦が始め、全国に共感が広がった。署名をする人が閣議決定の前後から増え、40万人を超えた。安倍政権の前のめりな姿勢が人々の不安をかきたてたのかもしれない。
 異論もあろう。掲げる理想と日米同盟の現実とがかけ離れているではないか。「押しつけ憲法」ではないか。賞を受けるのは「9条をもつ日本国民」とされているが、そのなかには改憲論者もいるのに、と。
 それでも、戦後日本に平和をもたらした9条の役割の大きさを否定できるものではない。きのうの受賞はならなかったが、粘り強く続ける値打ちのある挑戦ではないか。

井沢元彦氏の意見(3) [政治や歴史の話]

では続きを。

(引用はじめ)
「ヒーロー」の吉田所長を引きずり下ろしたかった
もう分かりだろうが、この情報は出鱈目でも構わない。愚かな国民を改憲という「悪の道」に向かわせない為に正しく導くのが目的だからである。北朝鮮は昔から日本人を拉致していた。これは事実である。しかし朝日人はこれを憲法改悪論者にとって都合の良い情報、と捉えた為に中々事実を認めようとしなかった。これも吉田証言を出鱈目だと認めなかった精神構造と全く同じものである。つまり朝日人にとって憲法改正などということはあり得ず、それは常に憲法改悪であるように、原子力発電所は常に「悪」であり、それを維持しようとしている人も「悪人」に他ならない。
だからこそ、もう一つの吉田問題つまり福島原子力発電所に関する誤報も起こる。朝日人にとっては原子力発電所の関係者はすべて「悪人」であり、そこに「ヒーロー」がいてはならないのである。ところが吉田所長はそれになってしまった。なんとか引きずり下ろさなければならない、それが正義の実現だと考えた朝日の記者達は虎視眈々とその機会を狙っていた。だからこそ聞き取り調査を読み違えた。これは本当に読み違えたのだろうが、なぜ他社の記者のように正確に内容を読み取れなかったかと言えば、「こいつらは悪人である」という予断と偏見があったからだ。
朝日新聞の記者諸君、君達も記者なら冤罪事件が起こる大きな原因の一つに、捜査側の予断と偏見があることを知っていよう。「こいつは前科者だから犯人に違いない」という思い込みで、本来は客観的な証拠の解釈を誤る。まさにこの吉田所長問題と同じではないか。それとも他に同じ理由があるというならツイッターでも何でも良い、ぜひ教えて頂きたいものだ。
ところで長年朝日に対して批判的な評論を続けている私のライフワークに、『逆説の日本史』シリーズがある。最近おかげさまで、この逆説シリーズはトータル500万部を突破した。何故そんなことをわざわざ語るかというと、実は朝日新聞は書評欄でこの逆説シリーズを取り上げたことが、ただの一度もないからだ。500万部を突破しているのに一度も触れないというのはやはり「無視」という苛めだと私は思っている。勿論朝日は偶然だと言うだろう。別に今更取り上げて欲しい訳ではないが、そういう陰湿な苛めの被害者は私だけでは無い筈、こんな事はいい加減やめたらどうか。といっても朝日新聞は報道機関ではないのだから、何を言っても無駄かもしれないが。
(引用おわり)

如何だっただろうか。井沢氏の文章は、小生にとっては読みやすい。
所謂保守系の作家だが、文章の読みやすさは、ピカ一だと思う。

小生の言いたいことは、ほぼ完全に述べられていたので、引用してみた。
この文章が気に入ったら、是非、雑誌の方も買って頂くと有り難い。
タグ:政治
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井沢元彦氏の意見(2) [政治や歴史の話]

では続きを。

(引用はじめ)
さてここで話は突然現代に戻るが、いわゆる従軍慰安婦に関するとした「吉田証言」誤報はなぜ起こったのか。その根本原因はもうお分かりになったと思う。記者が騙されたというのは明らかに嘘である。あんな男に騙される人間はそもそも記者の資格がない。百歩譲って本当に騙されたのだとしても、多くの識者が指摘しているように、組織としての朝日新聞は吉田証言が出鱈目であることにはすぐに気がついた筈なのである。これも本当に気がつかなかったのならマスコミの資格などない。朝日もそれほど愚かではあるまい。
では何故30年以上も出鱈目と分かっていて訂正しなかったのか。大本営発表を正義とする戦前の軍人と同じだ。まず読者は愚か者なのである。放って置けばどんな方向に行くか分からない。だからこそ、結果的に正しい方向(反日)に行かせる為に、嘘の情報でも良いから与えて誘導しなければならない。そのことは正義であるから、「訂正せよ」などという声に従ってはならない、ということなのである。
それにしても朝日新聞の読者というのは不思議な方々である。こうした大本営発表と同じ「誤報誘導」をして恥じない朝日人達の根底にあるものが分からないのだろうか。それは読書に対する心の底からの侮蔑である。朝日人は否定するだろうが、それならば何故出鱈目を放置しておいたのか。人間、相手が対等の知性を持つ存在だと考えれば、それを尊重する態度を取る。報道機関と読者との関係においては、報道機関は正確(と信じる)情報のみを提供し、その情報に対する判断は読者の知性に任せる、というのが本来の態度であろう。朝日はそれをしていない。やっていることはその逆である。だから私には、朝日の読者の心理が全く理解できない。自分を徹底的に侮辱している新聞をなぜ購読料を払ってまで取るのだろうか。それは自分を貶めていることにはならないのだだろうか。
私はかつて朝日の読者を「朝日真理教」の信者と揶揄したが、冗談半分で言ったつもりのこの言葉が、結局は最も的確な表現だったのかもしれない。宗教ならば合理的な判断が出来なくてある意味で当然かもしれない。そしてその信仰というのは「現実を見たくない」という事ではあるまいか。
古い愛読者ならご存知だろう。朝日はかつて「ソビエト連邦や北朝鮮は労働者の天国だ」と伝えていた。「文化大革命は人類の偉業である」と伝えていた。第二次世界大戦においてポーランド軍の将校が大虐殺された「カチンの森事件」も真犯人はソビエト軍だったが、朝日は「あれはナチスドイツの仕業」というソビエトの言い分が正しいような印象を与える論調を続けていた。
では北朝鮮は「労働者の天国」すなわち「良い国」でなければならないのか。それは外国の正しい指導によって生まれた日本国憲法は絶対に正しいからだ。それを「悪」である日本政府は改悪しようとしている、絶対に阻止しなければならない。またその「悪」の仲間である憲法改悪論者は常に、「もし侵略されたらどうするのだ」という現実的な問い掛けをしてくる。だからこそ、こうした人間を黙らせる為には日本の周りが全て平和を愛好する、「正しい」国家ばかりだ、という情報を与えなければならない。
(引用おわり)

相手の言い分を裏付けを取りもせずに丸呑みして記事することが罷り通るなら、こんなに危険なことはない。

長いので、続きは第三部で。
タグ:政治
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井沢元彦氏の意見(1) [政治や歴史の話]

実は、小生が最も影響を受けた作家が、井沢元彦氏である。
井沢氏の著作は、殆ど持っている。井沢氏の政治スタンスや意見は大体分かっていると言えよう。
井沢氏の文章は、とかく分かりやすい。
意識的に書いているのだろう。論旨が明確である。
古めかしい書き方で読者を煙に巻くということが無いので信用している。

さて、久々に『サピオ』を購入してみた。最近は、中々購入していなかったが、面白い記事も多いと改めて感じた次第。
その83ページから、95ページまで、「朝日新聞よ、謝って済む話か!」という朝日誤報の特集を行っている。
井沢氏はその最初の3ページで、「朝日は報道機関ではなく扇動機関である」という題で文章を載せている。
井沢氏は、1995年に『虚報の構造オオカミ少年の系譜』という本で朝日の虚報体質を批判している通り、20年以上前から、朝日新聞批判をしてきた。韓国に批判的な意見を持つ諸兄には、お馴染みの内容かも知れないが、以下引用してみたい。因みに、多少平仮名を漢字に改め、分かりやすく鍵括弧を補った部分がある。


(引用はじめ)
「吉田証言」「吉田調書」誤報が生まれた根源的な理由はこれだ
朝日は報道機関ではなく扇動機関である
井沢元彦

なぜ朝日は虚報を繰り返すのか。その報道姿勢にかねてより疑問を呈してきた井沢元彦氏が、一連の問題を総括する。

朝日新聞に関する問題点の指摘と言えば、ただ一つである。それは朝日は基本的に「報道機関ではなく扇動機関である」ということだ。これさえ分かっていれば朝日新聞に対する全ての疑問は氷解するし、朝日とは何かと思い迷うこともない。
ちょっと古い話をしよう。80年以上前の話である。勿論私も生まれていない。所謂戦前の話である。戦前の日本(大日本帝国)は確かに異常な国家であった。その異常さが増幅され最後は国を滅ぼした。1945(昭和20)年の惨憺たる状態は日本人なら誰でも知っているし、それを繰り返すまいとするのは当然のことだ。
では戦前の日本はどこからおかしくなったのか。様々な曲がり角はあったが、その最も大きなものの一つに満州事変があったことは間違いないだろう。中国の一角に満州国という日本の傀儡国家を作ってしまったこと、そしてそれを維持しようとあらゆる無理を重ねたことが、日本の破滅に繋がったことは、おそらく朝日新聞の人々(以下これを朝日人と呼ぶ)にも異論はあるまい。ところがその無理に煽りに煽ったのが朝日新聞社であったことをご存じだろうか。

満州行進曲一番
過ぎし日露の戦いに
勇士の骨を埋めたる
中霊塔を仰ぎ見よ
赤き血潮に色染めし
夕日を浴びて空高く
千里荒野にそびえたり(二番~五番略)

満州行進曲六番
東洋平和の為ならば
我らが命捨つるとも
なにか惜しまん日本の
生命線はここにあり
九千万の同胞と
ともに守らん満州を
(引用者中:この曲は、1932(昭和7)年に発表され、作曲者は、当時現役の朝日新聞記者であり、満州事変の報道をしていた大江素天氏)

これは実は朝日新聞が戦意高揚のために大々的に募集した歌詞の当選作で、しかも作者は現役の朝日新聞の記者であった。要するにあまり良い作品が集まらず「プロ」が作ったということだろう。歌詞を見ると非常に「重い」が、作曲はそれこそプロが非常に軽妙な歌調にし、お座敷でもよく歌われたという。そしてこの歌はまさに朝日人が望んだ通り流行歌となり、国民の頭の中に「満州こそ日本の生命線、何があっても守らなければならない」というスローガンが刷り海軍や一部の識者が猛反対した日独伊三国軍事同盟や対米開戦が国民に熱狂的に支持されたのもこういう朝日人の作った下地があったからである。
勿論、公平を期すために言っておけば、こういうことをした報道機関は朝日新聞だけではない。戦前からのマスコミ人達は、戦後になって、「軍部の圧力があったから本当のことを書けなかった」と言ったが、殆どが嘘である。明治以来、戦争を煽り国民を熱狂させることが新聞人の手口であった。なぜ、そんなことをするかといえば、その方が新聞が売れるからである。
しかし大日本帝国の滅亡は彼らの考えを大きく変えた。さすがにまずいと思ったのだろう。特に朝日新聞は大きく方向転換をした。もちろん彼等なりに反省してのことではあろうが、今度は国家のことに徹底的に批判的であろうとしたのだ。要するに「政府も日本も悪」というスタンスで挑もうと方針を変えたのだ。
政府というのは何かにつけて国民を弾圧する「悪の組織」であり、日本という国は諸外国に比べて極めて「劣った国」だというスタンスである。これはお分かりのように戦前とは180度反対の姿勢である。戦前は、大日本帝国は「世界に冠たる正しい国」であり、それゆえ戦前の朝日新聞は(これは朝日だけではないが)、政府の方針は基本的に全部正しいという方針を取っていた。それが国を滅ぼしたという「反省」の下に、その真逆を行けば良いと思い定めたのである。これは要するに「扇動」の方向性を変えただけ、ということだ。子供じゃあるまいしバカな話である。
戦前の朝日の大失敗は大日本帝国を「正しい」と評価したからではない。そうではなく煽動ばかりして正確な情報を国民に伝えるというマスコミの本来の役割を忘れたからである。いや、そもそもそういう姿勢が朝日人にはなかったと言っていい。自分達は軍人や政治家以上に正しい見識で日本の将来を見据えているエリートであって、愚かな国民を指導すべき存在である、と考えたことが最大の間違いなのだ。
同じようにエリートで日本を正しく誘導していると信じていた軍人達(結局彼等のせいで日本は破綻したのだが)は、大本営発表と言う悪行をなした。昭和16年から始まった対米戦争でミッドウェイ海戦あたりから日本は敗北続きだったが、彼らは「勝った、勝った」という嘘の情報を流し続けた。そしてここが肝心だが彼等は悪いことをしているとは夢にも思っていなかった。なぜか。国民は彼等に比べて愚かな存在だと考えていたからである。事実を告げればパニックになるかもしれない、冷静な判断ができないし士気もダウンする。聖戦を完遂するという絶対の正義のためには、そのことは障害になる。だから本当のことは教えないし、それは正しいことだという論理である。
(引用終わり)

特にコメントを加える必要もない。長いので、続きは、第二部で。
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罵詈雑言に耐えてきた人々 [政治や歴史の話]

『宝島2014年11月号』の朝日新聞の山田厚史氏のコメントでこういう文章があった
「いま袋叩きの朝日を批判するのは誰でもできる。安全地帯から反論できない相手を叩きまくる、というやり方は格好いいものではない(9ページ)」。

今、当ブログでも、袋叩きの朝日新聞を批判する大キャンペーンを実施している。
安全地帯にいながら、相手を罵倒するのは、我ながら本当に楽しい(爆笑)。
多分、中国や韓国の威を借りて、日本を罵倒してきた朝日新聞も、同じような気分だったのだろう。

さて、小生は、たまに戦争に行った人達、または戦地に夫を送り出した人達の話を聞くことがある。
今まで4人の方と話したが、その方の話を書いてみたい。

1人目の方は、当時の位で、中位程度まで昇進した方。
その方は、身体を悪くする数年前まで、靖国神社に毎年のように行っていたそうだ。
小生がお会いした当時は体調がかなり悪く、会話もままならかった。
ただ、「私も靖国神社に3回行っているんですよ」と言うと、にこやかに笑っていた。
その方は、言葉は殆ど話せなかったが、小生は、そういう人達の意志は、何か感じるものがあった。

2人目の方は、最近亡くなったが、終戦末期に徴兵されて、シベリアに抑留された方。
「シベリアは本当にきつかった。兵隊仲間もかなり死んだ。ソ連の憲兵には、良い奴もいて、ジャガイモを多くくれる奴もいた。シベリアがきつかったから、日本に帰国してからは何でもやれた」。

3人目の方は、この方も終戦末期に徴兵された方。
「新聞が煽る程、戦況が良くないのは分かっていた。だって、兵器が極端に少なかったから。内心、『相当厳しいな』とは感じていた」。

4人目の方は、この方も終戦末期に徴兵された方。
「僕は身体が強くなかったから、乙クラスの兵隊だった。軍隊時代はよく殴られた、意味もなくね(笑)。でもその当時は、男子は軍隊に行くのは当たり前だと思っていた」。

5人目の方は、戦地に夫を送り出したが戦死、その後、その方の弟さんと結婚した方。
「私の夫は、戦死したから、靖国に居るの。今は身体を悪くして、もう靖国には行けないけどね。だから、安倍さんが靖国に行くのは大賛成。批判されるのは意味が分からない」。

戦後、朝日新聞等が作り上げた物語は、「日本の兵隊が悪いことをした」という物語であった。
中国や韓国に吹き込み、「アジアに迷惑をかけたから、首相は靖国に行くな」という主張を今も繰り返している。
実際に戦争を経験し、苦労をした人々の全てが、口達者だった訳ではない。
やはり、「敗戦国だし、他国に迷惑もかけた」という負い目もあっただろう。
戦後、戦死者が貶められても、無言でじっと耐えてきた。そういう人達が大半と思う。

戦後、安全地帯から、そういう人達を叩きまくってきたのは、一体何処のどいつだ。

小生は、ささやかながら、そういう、言われも無き批判をされながらも、声を上げなかった名も無き戦死者やその家族達の名誉を護る為、生きていきたいと考えている。
それこそが、日本の為に命を捧げた諸兄や諸姉への礼儀であろう。
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朝日新聞に漂う臭気 [政治や歴史の話]

「朝日新聞の論法1」から「その3」で述べたことをまとめて書いてみたい。

小生が、朝日新聞、もしくは朝日新聞的思考のジャーナリストに見られる傾向を列記したい。

第一は、「とかく日本人を低く見て、『俺達が言い続けないと、日本人は阿呆のままだ』という上から目線」ということである。
第二は、「反権力という名の世論操作を行う」ということである。
第三は、「戦前の日本や日本人に対する差別意識があり、『自分達は、戦前の愚かな日本人ではなく、クリーンな人間だ』と、戦死者に鞭打つ」ということである。
第四は、「中国や韓国の威を借る狐であり、日本人が困るような言動を好む」ということである。
第五は、「他者の批判はすれども、自分達に向けられた批判にはまともに答えず、論点をずらす達人にして、自分達の言論に批判が来る時に見せる被害者ズラが凄い」ということである。
第六は、「日本に対するヘイトスピーチを生業とする、言論テロリストのくせに、自分達が攻撃されると『言論の自由を守れ』を叫ぶ」ということである。

朝日新聞の論法(3) [政治や歴史の話]

続き

門田氏:「もちろん、権力を監視するのは報道の大切な仕事のひとつであると思いますよ。ただ、それは大前提として事実の報道でなければならない。先般も朝日OBの早野透さんが朝日新聞に書いておられましたけれども、ここにある『ファクトへの情熱』というのは私の言いたいとまったく同じなんです。イデオロギーに沿った記事を作ってきたのが朝日新聞ではないか。そのことがいま、まさに証明されているわけです」。
山田氏:「早野さんの意見はその通りで、朝日でも皆が言っていることです。事実を曲げて良いはずがない」。
門田氏:「しかし朝日はそうやっている。先の原発の『吉田調書』問題でもそうでした」。
山田氏:「朝日が『反日』だと言っても、上層部は政権とパイプがありますし、その意味では他の新聞社と変わらないです。紙面は安倍政権に批判的かもしれないですがね。門田さんもこれまで権力を批判するという意味ではいろいろ書いておられるでしょう。たとえばこれまでどんなものがありましたか」。
門田氏:「自民党をはじめ、様々な政党や、創価学会、日弁連などいろいろ書いてきました」。
山田氏:「それでも、創価学会を批判したからといって創価学会を貶め、日本を貶めていることにはならないと思うんですよ。朝日新聞は何かと権力に対して批判的かもしれないが、それが全てイデオロギーに支配されているようなことはない」。

山田氏は、「朝日新聞は何かと権力に対して批判的かもしれないが、それが全てイデオロギーに支配されているようなことはない」と言っているが、本当なのか。
朝日新聞はイデオロギーに支配されて記事を書いていることを知らないのは、朝日新聞の読者だけかもしれない。
朝日新聞はイデオロギーに支配されて記事を書いていることを朝日新聞の記者は絶対に話そうとしない。そりゃ、そうだよね(笑)。


テーマ:「いまの朝日には大きな問題があるが、全てがおかしいわけではなく優れた報道もある。週刊誌メディアも、朝日新聞だからこそ新聞ジャーナリズムの対象としてその報道姿勢を監視し、ターゲットにしてきた側面があるのではないですか」。
山田氏:「野党が弱体化しているいま、政治の暴走を食い止める防波堤は世論です。今の政権が一番気を使っているのは世論であり、メディア対策です。憲法改正にしろ、原発にしろ、集団的自衛権にしろ、やはり世論が壁になることが多い。そこでリベラルと言われる朝日新聞の信用が失墜すれば政権は楽になるということはあると思うんです。もちろん、だからといって政権が朝日に何かしているということではないですよ。
メディアを取り巻く状況は劇的に変わっていて、経営的にはどこもシビアな状況を迎えている。また失われた20年のなかで、中国、韓国に対し、日本が劣後してきた、力関係が変わってきたことに対する苛立ちが日本人のなかにある。そうした状況の中で傷ついた自尊心がナショナリズムを煽り、朝日新聞が逆風を受けている状況はあると思います。私は朝日新聞がさまざまな問題を抱えているのは事実としても、ただそれを外に向かって言いつのることはしたくない。いま袋叩きの朝日を批判するのは誰でもできる。安全地帯から反論できない相手を叩きまくる、というやり方は格好いいものではない」。
門田氏:「朝日が批判されるのは、単に朝日に問題が多いからであって、朝日だから批判されるというのも違うと思います」。

「自分達のことを『リベラル』って言っちゃってる(=逝っちゃってる)山田氏ってどうよ」と思わないでもないが、小生がこの雑誌を買った一番の動機が、「また失われた20年のなかで、中国、韓国に対し、日本が劣後してきた、力関係が変わってきたことに対する苛立ちが日本人のなかにある。そうした状況の中で傷ついた自尊心がナショナリズムを煽り、朝日新聞が逆風を受けている状況はあると思います」の部分なのである。

「日本で、今、韓国や中国に対するヘイトスピーチが増加しているが、その要因は『中国、韓国に対し、日本が劣後してきた、力関係が変わってきたことに対する日本人の苛立ち』なのだ」という意見がある。
多分、日本よりも、韓国や中国を擁護したがるメディア、メディア人はこの論法を使うが、小生はそう思わない。
小生の周りにも、露骨に韓国や中国に対する嫌悪感を示す人が増えてきた。
彼らに聞くと、「日本が過去に中国や韓国に悪いことをしたかもしれないが、一定の謝罪等はしてきた。でも未だに被害者ヅラして、日本に文句を言ってくる。もう我慢の限界である」というような意見が多い。
別に、中国や韓国との力関係が変わってきたではない。執拗に、被害者を装い、日本を貶め、日本から譲歩や金銭をむしり取る手法が、だいぶ知れ渡ってきたからである。

愛国的日本人の小生からすると、「中国、韓国に対し、日本が劣後してきた」という山田氏の言葉遣いに、山田氏の正体が浮き彫りになっていると感じるのである。
「中国や韓国が日本を追い抜いた」ではなく、「日本が劣後してきた」とついつい言ってしまう。おそらく本音なのだろう。

「安全地帯から反論できない相手を叩きまくる、というやり方は格好いいものではない」と山田氏は言うが、「安全地帯から、反論できない日本を叩きまくる、という格好悪いやり方」は、朝日新聞の御家芸だったと記憶しているが。
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朝日新聞の論法(2) [政治や歴史の話]

続き。

テーマ:「朝日新聞が主張したいことが先にあって、そのために『吉田証言』が利用されたということはなかったでしょうか」
門田氏:「私は一番その点を感じるんですよ。日本と日本人を貶めるという目的のために朝日新聞は記事を作っているのではないかと。そうしか思えないときがあるんです」。
山田氏:「現場には貶める目的なんてものはないですよ」。
門田氏:「そうでしょうか」。
山田氏:「私はかつてバンコクで特派員を3年ほど務め、当時周辺諸国を取材しました。例えばシンガポールはきらびやかな観光地になっていますが、お年寄りの間では戦時中の日本軍の行動について語り継がれています。戦時を伝える施設などで日本人観光客が笑顔で記念写真を撮影したりしている風景に彼らは違和感を覚えているわけです。足を踏まれたほうは忘れてない。日本の若い人たちは歴史的事実をほとんど教えられていない。認識の差がアジア諸国との交流の妨げになっている」。

これが、朝日新聞の手法。
日本の都合の悪い事例は、地球上の何処からでも探してくる。まあ、地球外の空想世界からも探し出してきてたみたいだけど(笑)。
「足を踏まれたほうは忘れてない」というが、近年の中国や韓国からのヘイトスピーチで、頭を踏みつけられた日本人も、忘れてないけどね(爆)。
「認識の差」って、アジア諸国と、日本が同じ歴史認識になる訳無いでしょ。別の国民なのだから。


門田氏:「私は高知県と言う日教組教育の強い地域で生まれ育って、『日本という国はこんなにひどいことをやったんだよ』ということはずっと教わってきました。何しろ『日の丸』というものは悪いものだという教育を植えつけられていましたから。いまの教育現場で、日本がどれほどひどいことをしたかは教えられていないかもしれませんが、逆に日本がどれほどひどいことをされたかも教えられていない。つまり現代史というものをしっかり教えられていないということは言えるかもしれません。
歴史の真実というのは加害者としての立場もあるし、被害者としての立場もある。さまざまな立場はあるが、朝日新聞ではどうして常に日本を貶める企画だけ通るのか。私には不思議でならないんです。イデオロギーや主張に沿ったものしか紙面に掲載されないのではないですか」。
山田氏:「『朝日は反日』というのは陳腐な非難です。与党メディアと野党メディアがはっきり分かれる現在、朝日新聞が現政権に何かと批判的なのはそうですよね。新聞を含めた報道機関が権力の監視機関であるならば、当然、批判はつきものです。批判を貶める、というなら私も現役時代、大蔵省を貶めてきたかもしれませんし、政府を貶めてきたかも分からない。でもそれが『反日』ということにはならないでしょう」。

山田氏は、「現場には貶める目的なんてものはない」と言っているが、門田氏は、「さまざまな立場はあるが、朝日新聞ではどうして常に日本を貶める企画だけ通るのか」と疑問を投げかけている。
これが、結局、小生も以前から感じていたことなのだ。
何故、朝日新聞には、日本を貶める記事や解説、読者の声が大量に掲載されるのか。
彼らは、「我々はバイコクではない、ハンニチではない。ただただ、権力のチェック故、政権には厳しい目を向けざるを得ない」と言ってきた。
日本に都合の悪い記事がゼロでは、新聞の意味もなかろう。しかしながら、「権力のチェック」を建て前として、日本が不利に、他国が有利になるように、朝日新聞が、記事を構成していた(今も構成している)という疑いが濃厚であると門田氏は話している。小生もそう感じている。

長文なので、続きは第三部で。
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朝日新聞の論法(1) [政治や歴史の話]

最近、朝日新聞の誤報問題について、様々な書籍が発売されている。
金銭の都合上、全部を購入はできないので、一冊、『宝島2014年11月号』を購入してみた。
この4ページから、9ページまで、朝日新聞に否定的な作家、門田隆将氏と、朝日新聞OBの山田厚史氏が載っていた。
当然、山田氏は、朝日新聞にそれ程批判できる筈もなく、朝日新聞擁護論を展開しているが、「これが朝日新聞の本質」と言える内容なので、皆様にも御紹介したい。

山田氏:「私は朝日新聞がどういう判断で、どういう議論があっていま検証記事を出すことになったのか、明確には知りません。ただ仄聞するところによれば、この吉田証言がかなりいい加減なものであったという認識は朝日のなかでも以前からあって、いつか決着をつけなければならない問題として存在していたことは確かでしょう。そのまま頬かむりしようとする意見もあったなかで、あえて検証記事を出したことは『英断』だったと思います。ただその決意が紙面から見えてこなかったし、なぜこれまで正すことができなかったのか、読者の疑問に正面から答えたものではなかった。また、この問題を批判したジャーナリストの池上さんのコラムをボツにしたのは、言い訳のできない判断の誤りだったと思います」。

「明確には知りません」ではなく、山田氏は知りたくなかったのである(笑)。
「この吉田証言がかなりいい加減なものであったという認識は朝日のなかでも以前からあって、いつか決着をつけなければならない問題として存在していたことは確かでしょう」って、こんな放置プレー、報道機関としてアリなの(笑)。
「読者の疑問」じゃなく、国民の疑問に正面から答えたものではなかったから、朝日新聞が批判されていることに、朝日新聞は気づいていない。
池上氏のコラムをボツにしたことは、瑣末的なことである。国民の疑問に正面から答えたものではなかったことが本質だと小生は考えている。


門田氏:「今回の木村社長の判断は果たして『英断』になるんでしょうか。1997年の時点で今回のことがわかっていたはずなのに、なぜここまで時間が経過してしまったのかという気がしてなりませんが」。
山田氏:「英断と言ったって、世間の尺度からすればもちろん不十分ですよ。これまでに記事を掲載する機会があったわけですから。
強制連行の問題は議論の歴史があります。済州島のケースはなかったと思います。ただその後日本では10件の従軍慰安婦訴訟が起きていて、そのうち8件では、賠償責任こそ認められなかったものの、戦時下の女性に対する強制的な性被害は司法によっても事実認定されているわけです。それは何も朝日新聞が報じたことではなくて、時の政府が調査したことです。こうした過酷な状況は吉田証言と無関係に、あったと考えるべきでしょう」。

これが、朝日新聞だけではなく、慰安婦問題で、日本を攻撃する、日本を批判する連中の論法である。
「済州島ではなかったよ。でも他には有ったから、朝日新聞はそんなに間違ってない」という訳だ。


門田氏:「それは戦時一般の話であって、私がいま問題にしているのは朝日新聞が書き続けた朝鮮人慰安婦の強制連行についてなんですよ。強制連行というのは先ほど申し上げた拉致・監禁・強姦であって、それを朝日新聞は事実であると言い続けた。しかし朝日新聞はある時期から『広義の強制性』ということを言い始めた。それではいままで『挺身隊』の名のもとに8万人から20万人ともいわれる朝鮮人女性たちが強制的に戦場に連行されたと朝日が書いてきたのはなんだったのかということなんです。様々な事情で身を売った薄幸な女性たちがいたことと、日本という国家が組織的に彼女たちを拉致・監禁・強姦したということはまったく違います。今になって『広義の強制性はあった』と問題をすり替えるのは許されません」。
山田氏:「検証記事の不十分さについては異論がありません。ただ今回朝日が記事を取り消したことで、政府が河野談話を取り消して、新しい談話を出すとか、アメリカをはじめ国際社会に対し、河野談話を否定するような主張ができますか。そういう話になると途端に腰が砕けてしまうわけでしょう。吉田証言がクマラスワミ報告書に影響を与えたならば、河野談話の見直しということになってもおかしくないが日本政府ができない。日本が反省すべきことを行った歴史の事実は消せません」。

「ただ今回が」の部分が、山田氏や朝日新聞のイイタイトコロなのだと思う。
「検証記事は不十分だけど、日本が悪いことをしたのは事実でしょ」という訳だ。
「朝日新聞が反省すべきことを行った歴史の事実は消せません」と小生は思うけどね。
長文なので、続きは第二部で。
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日本の新聞社の条件 [政治や歴史の話]

報道の中立性は、事実上存在しない。
以前書いたが、報道の中立性とは、以下の2つの点において、厳密には保たれない。
「多くのニュースから、どのニュースを選択して放送するかは、放送局の判断が入るから」。
「そのニュースをどのように放送するかについては、放送局の主観が絶対に入るから」。

例えば、昨日、日本や世界で、報道に値するニュースが、100件あったと仮定する。紙面には限りがあるから、その中で、何を紙面に掲載するかは、新聞社が選定する。何を掲載するかという時点で、新聞社の主観から免れられない。

小生は、良い新聞社とは、「厳しいこともたまには言う、逞しい友人であらねばならない」と思っている。
まず、日本の歴史や文化を尊び、しかしながら、日本の為には、厳しい警句も辞さず、さりとて、日本が、言われもなき非難に晒されている時には、断固として、日本の名誉を守る為に奔走する。
口調は丁寧な中にもユーモアを忘れず、日本や日本人を叱咤激励する。日本が、経済的に停滞気味の時には、新たなビジネスモデルを提示し、例えば、東京オリンピックが2020年に行なわれるが、そういう日本人の心意気を示すチャンスには、それこそ進軍ラッパのように日本人を鼓舞する。

これが、日本の新聞社の役目ではないのか。
日本の新聞社なのだから、日本を中心に考えるべき。どだい、中立など不可能なのだから。

大事なのは、「愛ある批判」であるということ。愛していないと駄目だ。
ある女性を好きになれば、多少の欠点は見えなくなる。
ただ、その女性に直して欲しい部分がある場合、男性のコメントが、愛がある発言と、愛なき発言では、女性の反応も違ってくる筈だ。
朝日新聞の社説をたまに見る限り、「この新聞は、日本に対する愛がないんだなあ」と感じてしまう。

そういう記事を見てしまうと、「朝日新聞とは、日本人スピリッツを無くしている人達の集まりだなあ」と思う。
「少しでも、日本を良くしようと考えていれば、こんな発言が出る訳がないのに」という記事が少なくない。
朝日新聞の解説に出てくる人々も、揃いも揃って、日本人を精神的に拘束しようとする意図が見え隠れする。まあ、朝日新聞が人選しているのだから、仕方がないのだが。
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櫻田淳氏の意見 [政治や歴史の話]

この方の書籍は何冊か持っているが、参考になることが多い。

「『朝日が、どのような料簡の下に情報を世に伝えようとしているか』に、世の関心が集まる。『慰安婦虚報』もまた、『兎に角、日本のナショナリズムを抑える』という一つの料簡があればこそ、記事として世に出るに至ったからである」と櫻田氏が書いているが、小生もその通りだと思った。

朝日新聞を中心に、日本の「反日本メディア」や「反日本言論人」は、「兎に角、日本のナショナリズムを抑えるという一念で、言論をしていた(言論をしている)のではないか」というのが小生の現時点での結論である。

例えば、日本のナショナリズムを抑える為に、中国や韓国の日本罵倒を意図的に報道しなかった。
例えば、日本のナショナリズムを抑える為に、「憲法9条は世界の宝」と言って、日本の防衛意識を殺ぐことに懸命であった。
例えば、日本のナショナリズムを抑える為に、中国の周辺国に対する侵略行為を意図的に報道しなかった。
例えば、日本のナショナリズムを抑える為に、国旗や国歌に反対していた。
例えば、日本のナショナリズムを抑える為に、日本人拉致事件を意図的に報道しなかった。

大体、この論法で、語れてしまう。
「日本のナショナリズムを抑える為には、多少の捏造もOK」というのが、「反日本メディア」や「反日本言論人」のコンセンサスだったのではないか。

「私は、朝日が『普通の国』のリベラル思潮やハト派姿勢を体現するメディアに脱皮することを望んでいる」と櫻田氏は書いているが、たぶん無理だと思う。
「三つ子の魂百まで」と言うが、朝日新聞の反日濃度は多分変わりはしない。
濃度が多少薄まったとしても、有害物質は、所詮有害物質。
有害物質は、除去するに限る。これもヘイトスピーチという奴か(爆)。

「週刊新潮」2014年10月2日号「特集 『朝日新聞』偽りの十字架」より
政治学者「櫻田淳」が提案する「朝日新聞」再生への道――「朝日新聞」偽りの十字架(6)
 朝日新聞は誤報問題を契機に、単なる「リベラル・メディア」から脱皮を図るべき――。保守の論客として知られる東洋学園大学の櫻田淳教授が語りし、朝日新聞に相応しい「将来の自画像」とは何か。

 朝日新聞に対する批判が止まない。「吉田証言」にせよ「吉田調書」にせよ、一旦、世に出た「誤報」は、それが「誤報」と判明した時点で直ちに訂正されなければ、それよりも遥かに有害な「虚報」になる。
 現下の事態を前にして、朝日の社内の人々に問われるべきは、「将来の自画像」である。
「朝日が、どのような料簡の下に情報を世に伝えようとしているか」に、世の関心が集まる。「慰安婦虚報」もまた、「兎に角、日本のナショナリズムを抑える」という一つの料簡があればこそ、記事として世に出るに至ったからである。ただし、近時の朝日の論調からは、「将来の自画像」は浮かび上がってこない。もし、朝日の上層部が「平身低頭しながら『嵐』が去るのを待つ」思惑であるならば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉で再び批判される事態の下地になろう。
 私は、朝日が「『普通の国』のリベラル思潮やハト派姿勢」を体現するメディアに脱皮することを望んでいる。
 そもそも、リベラル思潮が強い関心を払うのは、対外的には人権擁護や環境保護、さらにはナショナリズムの枠組を超えた民族、宗教上の「協和と寛容」の確保であり、対内的には貧困や社会格差の克服といった案件である。
 そして、ハト派姿勢の特徴は、何らかの安全保障政策上の課題に際して、具体的な「力」の行使を抑制しようとすることである。

信頼が剥落
 リベラル思潮やハト派姿勢の受け皿となるメディアの役割は、日本が憲法9条改正を経て「普通の国」としての構えを手にした後で大事になる。朝日には、その役割を請け負うべき立派な理由があり、「『普通の国』のリベラル・ハト派メディア」こそ、「将来の自画像」として相応しい。
 木村伊量社長が語ったように、「アジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす」というのが、朝日の「信条」の一つ。しかしながら、例えば中国は、対内的には少数民族を迫害し、対外的には「力を恃む」姿勢を露骨に表しつつ、周辺諸国との摩擦を激化させている。
 中国の現状は、リベラル思潮の価値意識に照らし合せれば厳しい批判に値する筈だが、朝日は総じて鈍い反応だった。あたかも、「批判しないのが相互信頼関係の証」というような倒錯した姿勢が、紙面の論調に色濃く反映されていた。
 朝日の論調に対する世の信頼が剥落しているのは、「リベラル・メディア」を標榜しながら、その流儀を徹底させていないからである。不徹底さを反省し、「『普通の国』のリベラル・ハト派メディア」への脱皮を図ることにしか、朝日の「再生」の途はない。
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言論を扱うという意味 [政治や歴史の話]

昨日、久々に、堅い政治ネタを書いてみた。
堅い話は、書くのに苦労するが、達成感も又大きい。
小生も、最近は、堅い本を読まなくなっていた。猛省中である。

さて、大阪府と北海道の大学にかつて慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の教員の退職を求める脅迫文が届いた事件について、毎日新聞が、擁護論を展開中。毎日新聞も、朝日新聞には及ばぬものの、「ディスカウントジャパン運動」の日本側の担い手である。

毎日新聞が分かっていないのは、「捏造で、日本の品位が著しく貶められたが、その落とし前をつけない、朝日新聞とその元記者はどうなのよ」ということだ。
あの問題で、朝日新聞は真剣に謝罪したとは到底思われないと小生は感じている。「悪い、悪い。ちょっとミスった。ごめん、ごめん」ぐらいしか、謝っていない。元記者なんか、謝ったという話すら聞かない。口を噤んでいる。

「言論の自由は侵されてはならない」。
ふーん。捏造してたのに、それで、日本人が迷惑を蒙ったのに、謝罪が不十分だよね。世界に拡散した、日本の悪評を覆す運動や言説を始めてますか。
始める気がないってことは、やっぱり謝る気がないんだね。日本人が怒っているのは、そこ。
「言論弾圧は許されない」と叫ぶ前に、日本人に土下座しろ。逃げまわっているのは、どっちですか。
「言論弾圧は許されない」と言うなら、その言論で、日本の悪評を覆す言説を紙面で展開し始めるのが、言論機関の務めではないのか。

新聞というのは、小生のブログのようなものではない。公器としての責任は重大であり、一片の謝罪文で済まされる問題ではない。
「言論の自由」を言う前に、意図的に捏造をした連中が、「言論の自由」というより、「言論」を扱うに値する人間であったのか。そちらの方がまず問われなければならない。
「言論の自由」を言う前に、意図的に捏造した連中は、公器としての責任を果たさなければならない。
公器としての責任を果たせないのならば、新聞という媒体は、辞めて頂いた方が、公の為となるだろう。

「言論弾圧は許されない」と言うなら、もっと社を挙げての懺悔、又、言論で日本の悪評を覆す努力を紙面で展開し始めない限り、こういう言論弾圧は続くと思われる。

「看過できない卑劣さ」と言っているが、朝日新聞や元記者の記事も、日本を貶める為に捏造するという「看過できない卑劣さ」があったと思うが、如何。卑劣漢が、「お前等、卑劣やな」と他の人に言った所で、説得力ありますか。そこに対する認識が、毎日新聞も足りない。

後、「一部の雑誌やネット上に広がる異論を認めない不寛容な空気がある。各地で深刻さを増すヘイトスピーチ」と書いているが、韓国や中国なんか、日本に対するヘイトスピーチしか聞いたことがない。
そっちの方にも、批判して貰いたいんですが’(笑)。

社説:大学への脅迫 看過できない卑劣さ
毎日新聞 2014年10月03日 02時40分
 元朝日新聞記者が教授を務める帝塚山学院大学(大阪狭山市)と、別の元朝日記者が非常勤講師を務める北星学園大学(札幌市)に、それぞれの退職を要求する脅迫があった。
 応じなければ学生に危害を加えるという趣旨で、帝塚山学院大の元記者は教授を辞職した。大阪府警と北海道警が威力業務妨害容疑で捜査している。
 2人の元記者はかつて慰安婦報道に関わっていた。
 教授は朝鮮が日本の植民地だった戦争中、済州島で「慰安婦狩り」を行ったという吉田清治氏(故人)の証言を初めて報じたとされた。朝日新聞は、8月の自社報道点検でこの「吉田証言」を虚偽と判断し、記事を取り消した。しかし9月末に、初報を執筆したのは教授ではなく別の記者だったと訂正した経緯がある。
 また非常勤講師は元慰安婦の証言を初めて報道した。元慰安婦の裁判を支援する団体の幹部である韓国人の義母に便宜を図ってもらい、都合の悪い事実を隠したとの批判が寄せられていたが、報道点検は事実のねじ曲げはなかったと結論づけた。
 虚偽の「吉田証言」報道を放置していたことで、朝日新聞は大きな代償を支払うことになった。木村伊量(ただかず)社長が謝罪の記者会見を行い、社外の第三者委員会が取材の経緯や影響を検証することを決めた。自ら明らかにすべき事柄は少なくない。
 だがそれでも、意に沿わない報道やその筆者を社会から排除しようと無関係な団体を脅す行為は許されない。脅迫は元記者の勤め先の大学にとどまらず、ネット上では家族までプライバシーを晒され、攻撃の的になっている。
 北星学園大は、学生の父母らから非常勤講師に関する問い合わせや意見が多数寄せられ、学長名の説明文をホームページに急きょ公開した。学問の自由・思想信条の自由を重んじる大学の対応が注視される。
 自由な議論を保障する為にも警察には容疑者を早く検挙してもらいたい。
 「反日」「売国」「国賊」−−。今回の事件の背景には、一部の雑誌やネット上に広がる異論を認めない不寛容な空気がある。各地で深刻さを増すヘイトスピーチ(憎悪表現)にも相通じる現象だ。乱暴な言葉で相手を非難したり、民族差別をあおったりすれば、慰安婦問題の解決はますます遠くなるだろう。
 短絡的なレッテル貼りは、同種の事件を生む土壌になる。私達一人一人が力を合わせて差別的な言動を締め出し、冷静な議論ができる環境を整えなければならない。

余録:あらゆる宗教でキリスト教は最も寛容を説いたはず…
毎日新聞 2014年10月03日 01時17分(最終更新 10月03日 01時17分)
 「あらゆる宗教でキリスト教は最も寛容を説いたはずだ。だが今までのキリスト教徒は最も不寛容な人たちだった」。これは18世紀の啓蒙思想家ボルテールの言葉である。だが「寛容」について彼のもっと有名な言葉を思い出す方もいよう。
 「あなたが言うことには一切同意できない。しかしあなたがそれを言う権利は死んでも守ってみせる」。実は10年以上前の小欄で、この言葉が20世紀の初めに書かれた「ボルテールの友人たち」という本の著者がでっち上げた架空の名言だったと紹介したことがある。
 今ではそれを知る人も少なくないだろう。だが由来のいかがわしさにもかかわらず、この言葉が依然引用句として重宝されるのは自由と寛容がないがしろにされる場面が絶えぬからだ。そして今また暴力の恐怖で言論と学問に圧力をかけようという卑劣な犯罪である。
 いうまでもなく大阪府と北海道の大学にかつて慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者の教員の退職を求める脅迫文が届いた事件である。脅迫文には要求に応じなければ学生に危害を加える旨が記されており、当然ながら警察が威力業務妨害事件として捜査を始めた。
 慰安婦報道については朝日新聞が過去の虚報を取り消したことで、その影響や対応をめぐる激しい論議が続く。だがどんな批判も暴力の恐怖で言論を封殺する企てを許すものではありえない。恐怖によって社会を操ろうとする者は言葉本来の意味でテロリストである。
 名言でも何でもウソはいけない。ただ自由と寛容を空気のように呼吸できる社会を守るのは今日のメディアにかかわる全ての者の責任と肝に銘じたい。
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言論の自由について(久々に書くか、政治ネタ) [政治や歴史の話]

今世間で話題の「従軍慰安婦」問題については、機会を改めて書こうと思っている。
さて、従軍慰安婦問題の放火犯、いや放火魔の一人が、朝日新聞だった訳だが、その朝日新聞に対する攻撃が喧しい。朝日新聞らが、これらの問題で、韓国や中国とグルになって、日本を貶めて、日本を封じ込めようとしてきた。それに対する日本人の反撃が始まったのだ。

従軍慰安婦問題の放火犯の一人であった、植村隆氏への言論攻撃と威嚇行動が明るみとなった。
朝日新聞は、「言論の自由」を盾に、植村氏を擁護しているようだが、捏造を犯して、国家を貶めようとした連中は、これぐらいの報いは受けても仕方がないと小生は思っている。

『大辞泉』によれば、「言論の自由」とは、「個人が言論によって思想や意見を発表する自由。日本国憲法第21条で保障されている」とある。
しかしながら、「意図的に日本を貶める捏造」とかにも、言論の自由が、完全に保障されているのだろうか。
植村氏等の捏造をきっかけとして、日本の国際イメージは格段に悪くなっている。その元凶が、植村氏達だった。

「言論の自由」とは、「殆ど捏造や嘘、間違いのない事項や、その事項をベースとした論説」には、ほぼ完全に認められるが、「日本のイメージダウンを目的とした、捏造や嘘、大間違いの言説」には、言論の自由は、ほぼないと思うし、そういう発言が許されるものでもないし、そういう発言をした人々が、何の罪にも問われないのが可笑しくないか。

「言論の自由、言論の自由」と叫ぶ、ピー新聞(ピーの部分は、読者の御想像にお任せする)は、例えば、「ピー新聞は、殆どの記事が捏造で、テレビ欄ぐらいが真実」と、他新聞が書く「言論の自由」は、お認めになるだろうか(笑)。いや、認めないだろう。これは、明らかな捏造だからだ。ピー新聞だって、記事の全部が捏造ではないからだ。つまり、ある程度の事実に基づかない記事を紙面に載せる「言論の自由」は存在しない。

例えば、一連の朝日新聞の報道は、ミスという類いのものではなかった。意図的に過去の日本人を貶め、日本を悪者に仕立てる。そういう意図があったのだから、ミスという程度のものではない。捏造記事と小生は考えている。そういう意図を持って、嘘をついていた人間が、今更、「私の言論の自由が、侵されている」とか言う資格はない。はっきり言って、自害すべき。自害出来ないなら、黙って、批判を聞くべきだ。それだけの悪事を働いたのだから。
日本を悪者に仕立てて、国益を犯していた、朝日新聞も、言論の自由云々を言う資格が果たしてあるのだろうか。

朝日新聞、はっきり言って反省が足りない。この問題で、お前等は、批判されるべき対象であって、批判できる立場ではない。
「意見を述べ合い、批判し合う自由こそが社会を強く、豊かにする」。全くもって正しい。ただ、日本を貶めていた朝日新聞は、こういう意見を言う資格が果たしてあるのか。
民主主義社会だからといって、許されない言説はある。

朝日新聞社説
大学への脅迫―暴力は、許さない
2014年10月2日(木)付
 自由にものを言う。
 学びたいことを学ぶ。
 それらを暴力によって押しつぶそうとする行為を、許すわけにはいかない。
 かつて慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者が教授を務める帝塚山学院大(大阪狭山市)に9月、別の元記者が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市)には5月と7月、それぞれの退職を要求し、応じなければ学生に危害を加えるという趣旨の脅迫文が届いた。警察が威力業務妨害の疑いで調べている。
 「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」。
 「元記者を辞めさせなければ天誅として学生を痛めつける」。
 北星学園大には、「爆弾を仕掛ける」という内容の電話もあったという。
 攻撃の対象は元記者本人にとどまらない。家族までもがネット上に顔写真や実名を晒され、「自殺するまで追い込むしかない」「日本から出て行け」などと書き込まれた。
 朝日新聞は8月、過去の慰安婦報道について、女性を強制連行したと証言した吉田清治氏(故人)に関する記事を取り消した。間違った記事を掲載してしまったことに対して多くの批判が寄せられており、真摯に受け止めている。
 しかし、だからといって学生を「人質」に、気に入らない相手や、自分と異なる考えを持つ者を力ずくで排除しようとする、そんな卑劣な行いを座視する訳にはいかない。このようなことを放任していては、民主主義社会の土台が掘り崩されてしまうだろう。
 「反日朝日は五十年前にかえれ」。1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に男が押し入り散弾銃を発砲、記者1人が殺害された。犯行声明に使われた「反日」は、当時はあまり耳慣れない言葉だった。
 あれから27年。ネットや雑誌には「反日」「売国奴」「国賊」などの言葉が平然と躍っている。社会はますます寛容さを失い、異なる価値観に対して攻撃的になってはいないか。
 意見を述べ合い、批判し合う自由こそが社会を強く、豊かにする。戦後約70年をかけて日本が築きあげてきた、多様な言論や価値観が交錯する社会を守りたい、暴力に屈することのない社会をつくっていきたいと、改めて思う。
 朝日新聞への批判から逃げるつもりはない。しかし、暴力は許さないという思いは共にしてほしい。この社会の、ひとりひとりの自由を守るために。
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「戦国大名」失敗の研究 [占畑書店]

本好きな人なら、読んでいて、非常に「馬が合う」作者というのが、数人いることだろう。
「馬が合う」、即ち、「この作者の本は、自分にとってスラスラ読めて、内容が理解しやすい」というやつだ。

小生にも、こういうお気に入りの作者が、何人かいるが、最近のお気に入りは、瀧澤中氏である。
この人の『戦国武将の政治力』という本を読んで、小生は瀧澤氏のファンになった。
この人の本は大体持っているが、歴史と政治を絡めたその語り口は、歴史や政治好きには、中々楽しめる内容だと思う。最近の著書、『「戦国大名」失敗の研究』も、示唆に富んだ内容であった。皆様にもお薦めしたい。
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プロ棋士との対局 [父と僕の将棋]

最近、プロ棋士の方から、将棋を教わっている。

小学生から始めた将棋。なんだかんだで30年以上やってきた。日本将棋連盟から三段の免状は頂いているが、中身が伴っていないのが自分でも分かる。そこで、40歳になった今、遅まきながら、基本定跡とも言える駒落ち定跡を勉強している。小学生時代にも一度取り組んだが、あの時は殆どモノに出来なかった。頭が柔軟な子供ではもうないから、新たに駒落ち定跡を覚えるのは大変だが、プロ棋士との対局で少しは抵抗したいが為に頑張っている。
飛車と角行を外した二枚落ちという手合いでプロ棋士と数回対局しているが、中々勝てない。「二枚落ちで勝てればアマ初段、プロ棋士がほぼ全力で向かってきた二枚落ちに勝てれば、アマ二段程度」と良く言われる。まだ一勝しかしていないということは、小生の実力は大体その程度なのだろう。

今、小生の甥(小学生)が将棋を少しずつやっている。きっかけは、小生が妹の家(東京)に将棋の本と、盤駒を送ったことだった。するしないは甥の意思に委ね、とりあえずのきっかけを送ったのだ。そしたら、電話で、「ありがとう。将棋をやってみたい」という回答が甥から来た。

ただ、問題があり、妹も、妹の旦那さんも殆ど将棋を知らないということだった。
将棋に限らず、ボードゲームは、身近にそのボードゲームを理解し、適切なアドバイスが出来る人がいるのが望ましい。将棋や囲碁は、独習はかなり大変だと思う。ある程度の実力がついてしまえば、それも可能だろうが。
小生の場合、有段者の父(アマ三段)から手ほどきを受け、同級生と対局することで将棋を自分の趣味に出来た。将棋を趣味にしている人々は、大体このパターンだと思う。だから、甥の場合、妹の旦那さんが将棋を殆ど出来ないのが、少しネックだと感じていた。
幸い、夏休みの間は、小生の両親が妹の家に行くので、小生の父から手ほどきを受けている。又、近所の子供将棋教室にも、小生の母がいる間は連れて行っているようだ。両親が実家に帰った後が課題ではあるが。

父の話によれば、「玉将と金将だけの八枚落ちは、ほぼ卒業だろう。ただ、銀将を加えた六枚落ちでは、まだまだだな」ということだった。又、冬休みには、秋田に来て、小生と将棋を指したいそうだ。ふむふむ。
覚えたての甥に、厳しく向かうつもりもない。ただ、こちらが負けるにしても、参考になる差し回しをしたい。そういう思惑もある。小生が、プロ棋士に教えを請うている理由の一つなのだ。
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本当に平和を祈念しているのか [政治や歴史の話]

以前から違和感があったこと。
8月になると、中国地方の××県と九州地方の××県で、「原爆の日」にちなんだ平和祈念式典なるものが、開催される。小生は、この式典ほど、本質とは違ったことをやっている式典はないと毎年思っている。

今日、インターネットを見ていて、素晴らしい文章があった。
「原爆の日なのだから、心静かに、ただ黙祷し、慰霊すれば良い」。
小生も、そう思う。
確かに、日本も愚かな戦争をしたと言える。アメリカも、原爆を投下するという愚かなことをしたと言える。
しかしながら、過去の日本やアメリカをあげつらうのではなく、ただあの2発の原爆で亡くなった多くの方々の為に、静かに頭を下げる。これが、この式典の本当の目的ではなかったのか。

では、今の式典はどうか。
出てくるのは、「集団的自衛権は、戦争への道」だとか、「武力で平和は守れない」とか、原爆とはあまり関係のない話ばかり。原爆を隠れ蓑に、日本の防衛力低下へといざなう発言が目につくのだ。
原爆を批判するなら、まず、日本に向けて核ミサイルの照準を合わせている某国への懸念は、何故発言しないのか。
又、日本の集団的自衛権の論議は、主に日本の領海を侵略している某国へのリアクションとしての意味合いは強いと小生は考えているが、安倍氏を叩く前に、まずその日本の領海を侵略している某国への懸念は、何故発言しないのか。

結局は、こういう発言をする手合は、原爆のことは二の次で、本音は、「日本の防衛力を低下させよう」、「例え、日本が某国から軍事的圧力を受けても、平和憲法の下に、ただ只管、忍従を強いるように仕向けよう」といった考えなのではないか。

フランスの哲学者、パスカルは、こう喝破している。
「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
なぜならば、常に悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。
それゆえ正義と力を結合せねばならない」。
然り。

現実的に考えて、全くの武力なしに、一国が安定を保つのは、不可能である。
大金を泥棒に盗まれたくないから、人は、金庫に鍵をかける。金庫に、「泥棒よ、来ないでくれ」と張り紙をしていても、鍵のついていない金庫は盗み邦題である。
やっぱりセキュリティに不安があるから、人は、警備員を雇い、会社を閉める時は、鍵をかける。
他国を侵略する意図はなくても、侵略されたくないから、国家は、軍事力を準備している。「僕等は、平和を愛しているから、侵略しないでね」と言っても、侵略してくる集団には、力がないと対抗できない。
こういうアタリマエのことが分からないのか。

平和、武力では作れない 長崎原爆の日「平和への誓い」
朝日新聞デジタル 8月9日(土)13時48分配信
 武力による抑止で、核の傘で、本当の平和がつくれるのか。69年前、原子野で誓った不戦の原点から、遠ざかっていないだろうか。惨禍を目のあたりにしたこの日、被爆者たちは足元の平和を見つめている。
■集団的自衛権、行使容認は「暴挙」
 「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」。
 平和祈念式典で、被爆者代表として城臺美彌子さん(75)=長崎市=が「平和への誓い」を読み上げた。
 「今年の『誓い』は特別なものにしなければ」。そんな思いから、集団的自衛権の行使容認に触れた。
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久々の更新 [今日のスポーツニュース]

久々の更新。徐々に再開していく。
さて、2014年7月31日、少林寺拳法を始めた。
以前から格闘技には興味があったが、時間の関係もあり、中々踏み切れなかった。
小生の趣味として、将棋は一応有段者の仲間入りをしている。そこで、身体を鍛える分野で一つ何か打ち込むものを探していた。そこで色々探していた時、同市に少林寺拳法の道場があるのを知った。
実は以前、小学校の時、同級生から、「少林寺拳法をしないか」と誘われていた。そして、道場(少林寺拳法とは、道院という)にも見学に行ったりもしたのだが、その時は野球部が掛け持ちを禁じていた為、入会が出来なかった。
又、大学時代、大学の少林寺拳法サークルに入会しようとした時期もあったが、文化系のサークルに入った為、少林寺拳法サークルには入らなかった。
その日は仕事が休みだった為、一度道院の雰囲気を知りたかったので、見学に行ってみた。
道院長に話を聞いた。今は、平均して小学生が4人から5人程度、社会人が3人程度参加しているとのことだった。小規模で楽しげであった。「2、3回見学に来て、入会を考えたら良い」とのことだった。
道院にもう少し通い、体験してから正式に入会を決めようと考えている。
タグ:少林寺拳法
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ジャズの話(2) [占畑レーベル]

ジャズの話の続き。
前の文章で書いたとおり、ジャズというのは、「メインのメロディ、アドリブ部分、メインのメロディの再演」という黄金の方程式がある。勿論、このパターンではない曲も多いが、まず分かりやすい例として挙げる。

ここで又、問題がある。ジャズは、アレンジが肝とよく言われる。だから、元の曲が全く分からない程破壊されていても、ジャズとしては成立する。全く断片しか元の曲が分からない、演奏というものも確かにある。

小生は、基本的にメロディライン重視である。だから、あまりメロディを破壊するようなアレンジは好みではない。
「メロディを破壊するようなアドリブこそ最上」と思っているジャズマンの作品は、チャレンジしてみたが、やはり肌に合わなかった。

勿論、無条件に良い曲だなと思える曲も確かにある。
小生の場合、まず、最初に流れるメインのメロディが分かりやすく、印象的である曲が好きである。最初のインパクトは大事。そこでガツンと聞き手を惹きつける。冒頭で客を惹きつける曲こそ、小生は好きである。
次に、アレンジも比較的メロディーに沿っていて、尚且つ冗長でない曲が好きである。いくら、メインのメロディが良くても、アレンジが珍奇で、冗長なものは、ちょっと駄目だった。演奏時間として、1曲の長さが10分以下ぐらいが丁度良いと思っている。
こういう曲を探すのが楽しい。
タグ:ジャズ
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